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「被差別民解放」 に努めた大江卓

今日9月12日は、「マリア・ルス号」の摘発と清国人奴隷232人の解放など、政治家・実業家・社会運動家として活躍した大江卓(おおえ たく)が、1921年に亡くなった日です。

1847年、土佐国(今の高知県)宿毛に代官の子として生まれた大江卓は、長崎で洋式兵銃の修行したのち京に出て、1867年土佐陸援隊に入り倒幕運動に加わったことで、坂本龍馬、中岡慎太郎、陸奥宗光らと知り合いました。翌1868年1月の鳥羽・伏見の戦いの際には天皇の側に仕える侍従として、京都と紀州藩との連絡役を務め、維新後は伊藤博文の推せんにより、兵庫県判事試補となり、1869年にはアジア情勢視察のために中国上海にわたりました。

帰国後の1871年には、「穢多(えた)非人廃止建白書」を民部省長官の大木喬任に提出して、その廃止運動に力をそそぐと、1872年、当時神奈川県令(知事)を務めていた陸奥宗光は、外交知識の豊富な大江を県参事に引き抜くと、陸奥の片腕となって神奈川や横浜の街の土台づくりに奔走しながら、近代国家にふさわしい警察制度を作り上げました。それらの功績が評価され、外務卿副島種臣から権令(ごんれい=副知事)に抜てきされると、横浜に寄港したペルー国汽船「マリア・ルス号」の中国人苦力虐待事件の裁判長となり、ドイツ・フランス・イタリア・オランダ等公使の反対を押し切って、清国人奴隷232人を解放し、娼妓らの人身売買禁止に努めました。

1874年大蔵省理事官となるものの翌年辞任し、1877年に西南戦争がはじまると、土佐立志社の一員として西南戦争に呼応しようと土佐挙兵計画に参画したところ、クーデターに失敗して禁固10年の判決により、林有造らと岩手監獄へ収監されてしまいました(立志社の獄)。特赦により1884年に出獄、やがて板垣退助らの立憲自由党に参加して、1890年の第1回衆議院議員総選挙において衆議院議員に当選すると、予算委員長に就任し、軍艦建造費など大幅な軍縮予算案を査定し、これを可決させています。

1892年の選挙で落選してからは実業界入りし、東京株式取引所会頭や朝鮮京釜鉄道建設に関わって同社の重役となっています。1914年、出家して天也を名乗り、帝国公道会を創設して被差別部落解放運動を中心に、亡くなるまで、被差別民の解放活動を精力的に指導しました。


「9月12日にあった主なできごと」

1571年 延暦寺の焼き討ち…織田信長は、比叡山延暦寺を攻め堂塔を焼き払い、僧徒らを皆殺しにしました。領地をめぐる確執から、近江の浅井氏、越前の朝倉氏の軍勢を延暦寺が受け入れたこと、延暦寺が広大な寺領を誇り、大勢の僧兵をかかえて信長に反抗的だったのが原因でした。

1821年 塙保己一死去…「群書類従」という、わが国有史以来の文献のうち価値ある研究資料3373点を25部門に分類した叢書を著した、盲目の国学者塙保己一が亡くなりました。

1872年 新橋─横浜間に鉄道開通…新橋と横浜をむすぶ約29kmでわが国初の鉄道が開通、この日明治天皇を乗せた祝賀列車が走りました。翌日から旅客や貨物の輸送がはじまり、これまで1日かかったところを53分に短縮しました。上り下り共毎日8往復、料金は1円42銭5厘、75銭、37銭5厘の3階級でした。

1940年 ラスコーの壁画発見…フランスの子ども4人が遊んでいるうち偶然に発見。洞窟の側面と天井面には、たくさんの馬や山羊、野牛、鹿などの絵があり、旧石器時代後期(1万5000年ほど前)のクロマニョン人によって描かれたものと推定されています。
投稿日:2014年09月12日(金) 05:41

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)