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「西陣織」 を近代化させた佐倉常七

今日7月24日は、織物の最高峰といわれる「西陣織」の織工として、欧州の織機の研究を深めて近代化し、普及させた佐倉常七(さくら つねしち)が、1899年に亡くなった日です。

1835年、京都御苑と金閣寺のほぼ中間に位置する西陣伊佐町に、織元の子として生まれた佐倉常七は、子どものころから竹内佐久兵衛のもとで修行し、優れた織工に成長しました。「西陣織」とは、1467年から10年続いた内戦「応仁の乱」の際、山名軍の西軍陣地(西陣)のあった地を中心に栄えた先染め織物のことで、富裕町人の圧倒的な支持を受け、現在でも日本の織物の最高峰といわれ、帯や着物の織り屋が集積する全国最大の和装産地です。

ところが、江戸時代にたいへん栄えた西陣織でしたが、明治維新により首都が東京に移ると、伝統的な織物類が急速に衰えはじめました。危機感をおぼえた京都府は、貧窮した織元に救済金を貸与したほか、1872年に織物の先進国フランスに、織物伝習生を派遣することを決めました。織工の佐倉常七は、染色工の井上伊兵衛、器械工の吉田忠七とともにリヨンに派遣され、苦労のすえ織物技術を習得し、オーストリア製のジャカード、バッタンなど10種類もの機械と技術を携えて翌年に帰国しました。(吉田は3か月遅れて帰国途中に遭難)

1874年の京都博覧会でこれらを公開、実演したところ、ジャカード機に注目が集まりました。西陣でこれまで使ってきた「空引機」に比べると4倍以上の速さだけでなく、美しく織り上げられる模様に驚嘆の声があがりました。おまけにジャガードは、「紋紙」と呼ばれる記録紙から、経糸を上げる場所を示す穴を針で読み取って、自動的に経糸を調整する革命的な織機でした。 

京都府は、織工場を河原町二条に開設すると、佐倉は教師に就任して、全国の伝習生に織機の操作を教えました。いっぽう金属製のジャガードは、機大工の荒木小平によって木製で複製されると、やがてこの織機は、京都から桐生、八王子へと伝播していきます。

ところが西陣では、伝統が厳しく守られていただけでなく、作業が各業者ごとに専門化されていたことで、常七の努力にもかかわらずなかなか普及しません。ジャガードとバッタンの組み合わせにより、これまで2人がかりだった紋織物が1人ででき、織り手の自由意志で製織ができることを納得してもらい、ようやく使われはじめたのは1887年のことでした。

その後も常七は、全国各地の織物産地で織物の指導に当たり、やがて京都市染織学校嘱託教授などを歴任しながら、後進の育成につとめました。
 

「7月24日にあった主なできごと」

1802年 デュマ誕生…フランスの作家で、『モンテクリスト伯』『三銃士』などを著したアレクサンドル・デュマが生まれました。

1876年 ウェブスター誕生…『足ながおじさん』を著したアメリカの女流作家ジーン・ウェブスターが生まれました。

1886年 谷崎潤一郎誕生…『細雪』『春琴抄』『痴人の愛』などの小説や『源氏物語』現代語訳を著した作家の谷崎潤一郎が生まれました。

1927年 芥川龍之介死去…『杜子春』『蜘蛛の糸』 『鼻』『河童』などの短編小説を著した大正時代を代表する作家芥川龍之介が、36歳の若さで自殺しました。
投稿日:2014年07月24日(木) 05:52

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)