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「明治の長老」 西郷従道

今日7月18日は、陸軍卿、文部卿、海軍大臣、農商務大臣など、明治政府の重職をになった西郷従道(さいごう つぐみち)が、1902年に亡くなった日です。

1843年、薩摩藩の下級武士の子として鹿児島城下に生まれた西郷従道(幼名・竜助)は、幼いころから兄隆盛の影響を受けて剣術や兵学を学びました。やがて尊王攘夷運動に身を投じるようになり、1862年、勤王倒幕のために集結した有馬新七らの一党に加わって寺田屋事件をおこし、藩から弾圧を受けるものの年少だったために謹慎処分として帰藩することができました。翌1863年の薩英戦争がおこると出陣が許され、1864年薩摩・会津藩兵とともに京都御所の警護に当たり、「禁門の変」で長州兵を壊滅させると、戊辰戦争では新政府軍の一員として鳥羽・伏見の戦いに加わって重傷を負うものの、快復後は各地を転戦して活躍しました。

1869年、山県有朋と共に渡欧し兵制の調査にあたり、翌年帰国すると陸軍に入って山県のもとで陸軍の建設に当たり、1873年に兄隆盛が征韓論をめぐって下野しても、従道は政府に留まりました。1874年に陸軍中将となり、同年の台湾出兵ではアメリカの反対などを押し切って軍を指揮しました。隆盛が1877年に「西南戦争」を起こしたときも兄に加担することなく、これ以後は、参議、文部卿、陸軍卿、農商務卿となるなど、政府内で薩摩閥の重鎮として君臨します。

1885年、内閣制度が発足して、第1次伊藤博文内閣がスタートすると、海軍大臣に就任し、山本権兵衛を海軍省官房主事に抜てきして大いに腕を振るわせ、日本海軍を日清・日露の戦勝に導く基盤をこしらえました。その後も農商務大臣、内務大臣をへて、1892年には元老として天皇の相談にあずかる最高官「枢密顧問官」となり、同年には代議士70余名が結成した藩閥政府団体「国民協会」の会頭にも推されました。

1894年に海軍大将となると、海軍の最長老として海軍の整備や拡充につとめ、1898年には海軍軍人として初の元帥の称号を受けています。その後も第1次大隈重信内閣や第2次山県内閣にも入閣するなど、薩長間や陸海軍のあつれきを調停する貴重な役割を果たしました。また、内閣総理大臣候補に何度も推されたにもかかわらず、兄の隆盛が逆賊の汚名を受けたことを理由に断り続けるような、温厚な人柄だったと伝えられています。


「7月18日にあった主なできごと」

1572年 室町幕府滅亡…応仁の乱後、室町幕府は世の中を治める力を失っていましたが、第15代将軍足利義昭が、織田信長に京都を追放されたことで、およそ230年続いた室町幕府が亡びました。

1952年 大賀ハス開花…植物学者の大賀一郎博士は、千葉市にある弥生時代の遺跡から見つけた2000年も前のハスの実を発芽させ、ついに花を咲かせました。「大賀ハス」と名づけられ、全国各地で今も花を咲かせています。
投稿日:2014年07月18日(金) 05:34

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)