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「芸能界のカリスマ」 石原裕次郎

今日7月17日は、戦後のニッポンを代表する男性スターとして、52年間もその輝きを放ちつづけた石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)が、1987年に亡くなった日です。

1934年、神戸市に生まれた石原裕次郎は、山下汽船に勤める父の転勤のため、3歳のときに北海道小樽市に移り住み、9歳の時神奈川県逗子市に転居すると、海と模型飛行機作りに熱中しました。逗子中学・慶応高校をへて、1953年に慶応大学法学部へ入学、在学中に2歳年上の兄慎太郎の書いた小説『太陽の季節』が芥川賞を受賞しました。この作品が映画化されることになり、裕次郎は湘南海岸で行われたロケの手伝いをするうち、プロデューサー水の江滝子の目にとまり、1956年に公開された同作品で端役ながら映画デビューをはたすと、主役以上に注目されます。

同年、北原三枝と初共演した慎太郎の脚本による『狂った果実』で主演をつとめると、甘さのなかに野性味をただよわせたルックスは大人気となり、『嵐を呼ぶ男』『俺は待ってるぜ』『錆びたナイフ』などヒット作を連発させ、1957年から数年間は、毎年7〜9本もの映画に出演するほど、時代のヒーローとなりました。1960年には共演を務めた北原三枝と結婚すると、そのころから浅丘ルリ子とコンビを組んだ『銀座の恋の物語』『赤いハンカチ』『二人の世界』など、映画ばかりかテーマソングもレコード化されて、空前の大ヒットとなります。

1963年、石原プロモーション(石原プロ)を設立させると、実現不可能といわれた黒部ダムを建設しようと奔走する『黒部の太陽』、ヨーロッパやアフリカでの長期ロケに挑んだ『栄光への5000キロ』、富士山頂での気象レーダー基地の建設をめざす『富士山頂』など、野心的映画作品を次々に製作しますが、大赤字を出してしまったことで、活動の場を、発展しはじめたテレビに移しました。

1972年に放送が開始された刑事アクション『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)は、派手なアクション、成長する刑事たち、「殉職」による主役級役者の卒業など、それまでの刑事ドラマの常識をことごとく打ち破った作品として大ヒットとなりました。さらに1976年からは「大都会」シリーズ(日本テレビ系)、1979年からは「西部警察」シリーズ(テレビ朝日系)をスタートさせ、お茶の間の人気をさらいました。

しかし1981年、とつぜん動脈剥離で重体におちいったことで、成功率3%という大手術に成功して奇跡的に生還するものの、1984年には肝臓がんが見つかり、この日多くのファンに惜しまれながら他界しました。

自ら主演した同名映画の主題歌『嵐を呼ぶ男』をはじめ、270万枚以上を売り上げた『銀座の恋の物語』、『ブランデーグラス』『恋の町札幌』『夜霧よ今夜も有難う』など、歌手としても数多くの名曲を世に送り出し、歌いつがれています。


「7月17日にあった主なできごと」

1604年 徳川家光誕生…江戸幕府第3代将軍として、参勤交代制、キリシタンの禁制、鎖国などを断行して、幕府の全国支配体制を確立した徳川家光が生れました。

1795年 円山応挙死去…江戸時代中期の絵師で、『雪松図屏風』など、写生を重視した日本画を完成した円山応挙が亡くなりました。

1868年 江戸が東京…明治天皇は、徳川幕府のあった江戸を東京と改め、首都としました。これまでの首都は京都にあり、東京は京都の東にあたるため「東京」となりました。
投稿日:2014年07月17日(木) 05:13

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)