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「楽壇の帝王」 カラヤン

今日7月16日は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術総監督など、世界のクラシック音楽界をリードしたオーストリアの大指揮者カラヤンが、1989年に亡くなった日です。

1908年、ザルツブルクに貴族の子として生まれたヘルベルト・フォン・カラヤンは、地元のモーツァルテウム音楽院でピアノを学んでピアノ奏者となりました。やがて、ウィーン音楽院で指揮を学ぶと、1929年に歌劇『フィガロの結婚』で指揮者デビューをはたし、ドイツのウルム市立歌劇場、アーヘン市立歌劇場を経て、1938〜45年までベルリン国立歌劇場の常任指揮者を務め、世界有数のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(ベルリン・フィル)の指揮者フルトべングラーと人気を競いあいました。

1954年に、フルトべングラーが急逝すると、翌1955年にベルリン・フィルの終身首席指揮者・芸術総監督の地位に昇りつめ、亡くなる少し前までの34年間、この地位にとどまりました。その間ヨーロッパ各地のオーケストラを指揮し、1956年にはウィーン・フィルの指揮者と国立歌劇場の芸術監督に就任、世界の人気を二分する両オーケストラを同時にたばねたことで、「ヨーロッパ音楽の帝王」と呼ばれるようになりました。

カラヤンは、1954年にNHKの招きで初来日して以来、ベルリン・フィルを率いた日本公演は9回にものぼり(ウィーン・フィル公演1度計11回来日)、その多くはラジオやテレビでも放送され、華麗な指揮・ドラママチックでわかりやすい表現・豊富な演目で日本のファンを魅了しました。

生涯に録音したレコード、CD、DVDの累計売上枚数は1億枚を越えているといわれ、クラシック音楽史上最も大きな成功を収めた指揮者といっても過言ではありません。没後25年目の今年も、カラヤン名盤1600がリリースされるなど、その人気は今も続いています。


「7月16日にあった主なできごと」

622年 回教暦元年…イスラム教の開祖ムハンマド(マホメット)が、メッカからメディナに移って布教を開始。この年を回教暦元年としました。

733年 山上憶良死去…貧しい人たちへの気遣いや家族思いの万葉歌人・山上憶良が亡くなったといわれます。

1260年 立正安国論…僧の日蓮はこの日、鎌倉幕府の前執権北条時頼に「立正安国論」を献上し、相次ぐ地震や飢饉、疫病などの災害の原因は、阿弥陀如来だけを信じ念仏をとなえればよいという法然を激しく非難、正法である法華経を信じなければ国内に反乱がおこり外国から侵略を受けると予言しました。

1872年 アムンゼン誕生…ノルウェーの極地探検家で、1911年南極点に初めて到達したアムンゼンが生まれました。

1945年 世界初の原爆実験…アメリカのニューメキシコ州の砂漠で、原子爆弾実験がおこなわれました。この成功により、広島に8月6日、9日に長崎へ原子爆弾が落とされました。
投稿日:2014年07月16日(水) 05:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)