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「悲劇の関白」 豊臣秀次

今日7月15日は、豊臣秀吉の甥で数々の武功をあげ、秀吉の養子として関白の座につきながら、切腹を命じられた豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ)が、1595年に亡くなった日です。

1568年、秀吉の姉の長男として尾張国に生まれた秀次(幼名・治兵衛)は、1582年信長の死後、秀吉の数少ない縁者として重用されると、翌1583年の賤ヶ岳の戦いで武功を挙げました。しかし、1584年の小牧・長久手の戦いでは徳川家康軍の奇襲を受けて惨敗したことで、秀吉から激しく非難されました。それでも、1585年の紀伊攻めや四国平定で手柄をたてたことで、43万石を与えられ、近江国(滋賀県)八幡山に築城しました。

さらに1586年には、秀吉から豊臣姓を下賜され、1590年の小田原征伐で北条氏を滅ぼした功績で、尾張国・伊勢国北部に100万石を領有するようになり、清須城に入りました。1591年には奥州に出兵し、一揆や九戸政実の乱を鎮圧するなどの武功を挙げます。1591年8月、秀吉の長男鶴松が亡くなると、跡つぎのない秀吉は秀次を養子とし、同年12月に関白の地位に就かせただけでなく、京都に作った聚楽第を譲りました。

ところが、1593年に秀吉に実子・秀頼が生まれると、秀吉から次第にうとまれるようになり、関白になってからの秀次に異常ともいえる残酷な行動があったことから、秀吉は秀次の領地を侵害するようになり、1595年7月はじめには、毛利輝元と通じて謀反をおこそうとしていると、関白の座をはく奪しました。弁明のため秀次が秀吉の居城である伏見城に向かっても入ることが許されず、高野山での待機を命じられました。そして7月15日、高野山で待っていたの秀吉の使者・福島正則で、秀次に切腹を求めました。秀次は、5人の小姓たちとともに、自刃させられただけでなく、8月2日には、秀次の妻子や側室ら39人が、京都の三条河原で処刑されました。

このような秀吉の残虐な粛清は、朝鮮出兵による武将間の対立を深刻化させ、豊臣家の崩壊を早めるきっかけになった事件ともいえそうです。


「7月15日にあった主なできごと」

1099年 第1回十字軍…ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけに応じた第1回十字軍が、聖地エルサレムを占領しました。

1606年 レンブラント誕生…『夜警』『フローラ』『自画像』など数々の名画を描き、オランダ最大の画家といわれるレンブラントが生まれました。

1871年 国木田独歩誕生…『武蔵野』『牛肉と馬鈴薯』『源叔父』などの著作をはじめ、詩人、ジャーナリスト、編集者として明治期に活躍した国木田独歩が生まれました。

1924年 黒田清輝死去…『湖畔』『読書』などの作品を描き、わが国の洋画の発展に大きな功績を残した画家の黒田清輝が亡くなりました。
投稿日:2014年07月15日(火) 05:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)