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「保元の乱」 に敗れた藤原頼長

今日7月14日は、平安時代末期に、藤原氏一族の氏長者「内覧」となって権勢をふるった藤原頼長(ふじわらの よりなが)が、1156年に亡くなった日です。

1120年、平安時代末期の公卿で摂政関白を務めた藤原忠実の次男に生まれた藤原頼長は、8歳のころに「孝経」を学ぶほど学問好きで、父から愛されて育ちました。1129年に白河法皇が亡くなって鳥羽上皇による院政がはじまると、まもなく頼長は昇殿を許され、わずか12歳で公卿に列席するほど昇進します。その後も17歳で内大臣、31歳で左大臣へ進むと、兄の関白・藤原忠通と対立するようになりました。

父の後押しにより、頼長は忠通に代って藤原氏一族の氏長者である「内覧」となって、旧儀復興・綱紀粛正に取り組みましたが、その烈しさと妥協を知らない性格のために「悪左府」の異名を取るほど独裁色の強い政治をくりひろげました。また、鳥羽上皇の第9皇子で、崇徳天皇(上皇の第1皇子)に代って3歳の近衛天皇が即位しましたが、その皇后問題で、兄弟の対立はいっそう深まりますが、鳥羽上皇の信頼をえて、頼長は大きな勢力を持つことになります。

ところが1155年、忠通らの謀略により近衛天皇が亡くなると、この死因は頼長・忠実父子の呪詛によるという噂が忠通の画策で流され、鳥羽上皇の信任を失ってしまいました。おまけに、皇位は後白河天皇に代り、「内覧」をやめさせられた頼長は、政界を去って宇治の別荘に引きこもらざるをえませんでした。

こうして失意の頼長と、後白河天皇に地位を奪われて不満を持つ崇徳上皇(崇徳天皇)との結束が強まり、翌1156年7月、鳥羽上皇が亡くなったのを機に、後白河天皇を倒して政権を奪おうと「保元の乱」をおこしました。ところが、崇徳上皇側についたのは、源為義や平忠正らがいたものの総勢はわずかで、後白河天皇側についた源義朝や平清盛らの軍勢に闇討ちをかけられ、一方的な敗北をきっし、頼長は流れ矢に当たって(一説には避難した父に会いたいと小舟に乗っているときに)亡くなったといわれています。

なお、頼長の日記『台記』は、同時代の政治や風俗を克明に記した貴重な史料といわれています。


「7月14日にあった主なできごと」

1789年 フランス革命…パリ市民が政治犯を収容するバスティーユ牢獄を襲撃し、世界史上に特筆される「フランス革命」のひぶたが落とされました。日本ではこの日を 「パリ祭」 と呼んでいますが、フランス国民は毎年、歌ったり踊ったり、心から喜びあう国民の祝日です。

1810年 緒方洪庵誕生…大坂に適塾を開き、福沢諭吉 や大村益次郎らを育てた蘭医・教育者として大きな功績を残した緒方洪庵が生まれました。
投稿日:2014年07月14日(月) 05:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)