児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  「特撮の神様」 円谷英二

「特撮の神様」 円谷英二

今日7月10日は、特殊撮影技術の第1人者として、怪獣SF映画『ゴジラ』など50本もの劇場映画作品を送り出し、テレビ映画「ウルトラマンシリーズ」などで怪獣ブームを巻き起こした円谷英二(つぶらや えいじ)が、1901年に生まれた日です。

福島県須賀川市の商家に生まれた円谷英二(本名・英一)は、幼いころに両親と死別したために祖母に育てられ、飛行機に強いあこがれをいだくようになります。飛行機や飛行船などの模型を作ることに熱中するうち、16歳で上京すると、出来たばかりの羽田の日本飛行学校に入学しました。ところが、たった1機しかない練習機が墜落したために学校が閉鎖されると、玩具店に勤めながら、神田電機学校(今の東京電機大)の夜学に通い、写真機のとりこになって、1919年国際活映に入社して、映画製作者としてのスタートを切りました。

その後、松竹京都撮影所、にっかつを経て、1934年にJOスタジオに招かれて日本初の合成技術を取り入れた『新しき土』を完成させると、1937年に特殊技術課が創設された東宝撮影所へ移り、特殊撮影技術(特撮)を駆使した映画を次々と世に送り出しました。とくに1942年の『ハワイ・マレー沖海戦』では、精巧な模型を作って撮影し、本物と見間違えるほどの作品に仕上げ、その高度な技術力により、日本映画界を大きく前進させていきました。

戦後は大映で『透明人間現る』などを手掛けた後、東宝撮影所へもどり 1954年、日本初の怪獣SF映画『ゴジラ』を大ヒットさせました。数百万年も前に滅びた怪獣が東京に上陸し、高圧電線に引っ掛かったことで怒り狂い、火炎を吐くゴジラの姿は、観客を大いに興奮させました。

その後も、目の動きやビルの壊れ方ひとつにもこだわって製作された怪獣映画は、『モスラ』『ラドン』など30本にも及び、特撮技術を取り入れた『日本誕生』『世界大戦争』などの大作を含め、50本もの映画に携わりました。

1964年の東京オリンピックを機に、テレビが普及し始めると、「円谷特技プロダクション」を設立し、テレビ用の特撮怪獣ウルトラマンシリーズ他を意欲的に製作して怪獣ブームを巻き起こしましたが、1970年、「特撮の神様」といわれた生涯を閉じました。


「7月10日にあった主なできごと」

1509年 カルバン誕生…フランスの宗教改革者のカルバンが生れました。「カルバン派」は、オランダ、イギリス、フランスなど産業の盛んな地域に広まりました。

1821年 大日本沿海輿地全図…伊能忠敬が中心となって制作した日本全土の実測地図「大日本沿海輿地(よち)全図」が完成し、江戸幕府に献上されました。
投稿日:2014年07月10日(木) 05:14

 <  前の記事 「ゴルジ体」 を発見したゴルジ  |  トップページ  |  次の記事 女性に絶大な人気を得た吉屋信子  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/3369

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2015年01月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)