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「ゴルジ体」 を発見したゴルジ

今日7月8日は、神経組織の染色法「ゴルジ染色」を考案したことにより、細胞内にある入り組んだ器官「ゴルジ体」を発見したイタリアの内科医で科学者のゴルジが、1843年に生まれた日です。

イタリア北部のコルテノに医者の子として生まれたカミロ・ゴルジは、パビア大学で骨髄の特性を解明したことで知られるビッツォゼーロの研究室で医学を学び、1865年に卒業後は、同大学の一般病理学の講師や病院に勤めながら、中枢神経系の研究に多くの時間を費やしました。

1872年、アピアテグラッソにある慢性病病院の主任医官になって神経病などの研究をつづけるうち、翌1873年、銀を使う金属による神経組織の染色方法を発見し、脳の中の神経の経路を初めて確認することに成功しました。のちにこの染色は「黒い染色」と呼ばれ、彼の名のついた「ゴルジ染色」と呼ばれるようになりました。

1881年に、恩師ビッツォゼーロのあとを受けて、母校パビア大学病理学教授となると、マラリアの研究により病原虫の発見をするなど大きな貢献をしたほか、染色技術を用いて「ゴルジ腱受容器」という腱の感覚器を発見したほか、1898年には、動植物の細胞内にあるいろいろな物質を一時的に貯えたり、分泌物や色素などの形成にかかわる入り組んだ器官を発見しました。これも彼の名がとられて「ゴルジ体」(ゴルジ装置)と呼ばれています。

いっぽう、スペインの神経解剖学者ラモン・カハールは、ゴルジ染色法を改良し、神経系はニューロンという細胞体・樹状突起・軸索という構造をもち、シナプスと呼ばれる接合部によって互いに連絡するという説をとなえ、現在ではこの説が一般化しています。

1906年、著書『神経系統の構造に関する研究』など神経系の構造研究に関し、ラモン・カハールと共にノーベル生理学・医学賞を受賞し、1926年パビアで亡くなりました。


「7月9日にあった主なできごと」

1854年 日章旗を船印に決定…徳川幕府は、「日の丸」を日本船の印と決定しました。やがてこれが慣習化されるようになり、正式に国旗となったのは1999年「国旗国歌法」の公布以降です。

1922年 森鴎外死去…『舞姫』『山椒太夫』『高瀬舟』など明治・大正期に活躍した文学者で「文豪」といわれる森鴎外が亡くなりました。
投稿日:2014年07月09日(水) 05:59

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)