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「飛行船」 のツェッペリン

今日7月8日は、ドイツの軍人で「硬式飛行船」を発明して実用化したツェッペリンが、1838年に生まれた日です。

いまのドイツ南部にあったバーデン大公国コンスタンツに生まれたフェルディナント・フォン・ツェッペリンは、シュツットガルトの工芸学校を経て陸軍士官学校に学び、ドイツ連邦ビュルテンベルク王国で軍人としての道を歩みはじめました。

1858年、中尉のときに軍事研究のため欧米諸国の視察を命じられ、イタリア、オーストリアをめぐり、アメリカでは南北戦争に遭遇します。この地で北軍に志願して観戦武官となると、アメリカ初の軍用気球に乗って、はじめての飛行を体験しました。

1891年、陸軍中将で退役すると、以前から計画していた飛行船の建造に専念しました。実用の見通しがたったことで、1895年にドイツ皇帝ウィリヘルム2世に提案するものの受け入れられず、苦慮しながら独力で飛行船を開発。1900年に20分間の初飛行に成功し、理論の正しさを証明しました。

ドイツ飛行船航行会社を設立して飛行距離や時間を伸ばすうち、国民からの寄付や高度な能力をもつ技術者も集まりはじめ、第3号船は350kmの飛行を記録します。1909年までに、1600回以上の飛行を無事故で行い、4万人近い旅客を運んだことから民間の航空会社にも使われるようになって「航空運輸時代」の幕開けをつげました。

第1次世界大戦中は、119隻も建造され、偵察や爆撃に威力を発揮しましたが、悪天候による難破があいつぎました。ツェッペリンは大戦中の1917年に亡くなりますが、第59号船は、ブルガリアから今のスーダン間675kmを無着陸で往復させています。

戦後は民間用にのみ建造がゆるされ、1929年には「ツェッペリン伯号」が、29日間の世界一周に成功し、その途中に日本へも着陸しています。同年にはドイツと北アメリカ間に定期運航が始まり、以後8年間続きましたが、1937年におきた「ヒンデンブルク号」の爆発事故により、飛行船は航空機にとってかわられ、コマーシャル用以外ほとんど使われなくなりました。


「7月8日にあった主なできごと」

1621年 ラ・フォンテーヌ誕生…人間を動物におきかえた教訓話(寓話)で名高いフランスの文学者・詩人のラ・フォンテーヌが生まれました。

1979年 朝永振一郎死去…量子力学の研究の中から「超多時間理論」をまとめ、それを発展させた「くりこみ理論」を発明した功績によって、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎が亡くなりました。

1994年 金日成死去…朝鮮半島の抗日運動家・革命家として活動、1948年9月にソ連の支援をえて「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)を建国、同国を朝鮮労働党独裁によって支配し続けた金日成が亡くなりました。
投稿日:2014年07月08日(火) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)