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モンロー主義

今日7月4日は、アメリカ建国時の功労者のひとりで、アメリカ外交の基本を示す「モンロー宣言」を発したことで知られる第5代アメリカ合衆国大統領モンローが、1831年に亡くなった日です。

1758年、バージニア州ウェストモアランドの小農園主の子として生まれたジェームズ・モンローは、アメリカ独立期に少年時代をすごしたことで、1775年から独立戦争に加わり、1778年に足を負傷し軍を離脱しました。おじの助言により当時バージニア州知事で独立宣言を起草したことで知られるジェファソンのもとで3年間法律を学ぶと、1782年に同州議会議員、翌年には大陸会議(連合会議)の州代表となりました。

1790年にアメリカ上院議員に選出されると、ジェファソンの党(のちの民主共和党)に加わり、フランス大使などを経て、1799年にバージニア州知事となって行政面での経験を積み、1803年に第3代大統領になったジェファソンのフランス特使となって、フランス領ルイジアナ州の買収交渉に成功して国民的な名声を得ました。さらに、第4代マディソン大統領のもとでも、国務長官および陸軍長官として重要な役割を演じました。

1816年、アメリカ合衆国大統領選挙に民主共和党から立候補したモンローは、選挙人投票の80%以上を獲得して圧勝、実力者を集めた政府をつくりあげると、国家主義が盛り上がった時期だけにアメリカ各地どこでも歓迎され、いわゆる「好感情の時代」を長く続けました。1819年に恐慌が襲い、1820年にはミズーリ州の加盟問題で国内が論争に巻きこまれても、1820年の大統領選挙ではほぼ全会一致で再選されます。

同年にはスペインからフロリダを買収するなど外交上の成果もありましたが、モンローの名を決定づけたのが1823年に発表した「モンロー宣言」です。これは、中南米諸国の独立に対して出されたもので、「ヨーロッパ諸国はこれ以上領土を広げない。新大陸の諸問題に口出すべきでない」という訴えで、この宣言は、以後のアメリカ外交政策の規範となりました。これは「モンロー主義」ともいわれています。


「7月4日にあった主なできごと」

1106年 源義家死去…平安時代後期の武将で、八幡太郎(はちまんたろう)の通称で知られる源義家が亡くなりました。

1776年 アメリカ独立宣言…イギリスからの独立をめざし前年からの戦争のさなか、アメリカ東部13州はこの日に独立を宣言、7年後の1783年の「パリ条約」で正式に認められました。アメリカ合衆国では、以来この日を「独立記念日」としてお祝いをしています。

1807年 ガリバルディ誕生…たくさんの都市国家があり、フランスやオーストリアなどに支配されていたイタリアを、イタリア王国として統一させたガリバルディが生まれました。

1820年 フォスター誕生…「オールドブラックジョー」「故郷の人々」など数多くの歌曲を作曲したアメリカを代表する作曲家フォスターが生まれました。

1826年 ジェファソン死去…第3代アメリカ合衆国大統領で、イギリスからの独立宣言文を起草したジェファソンが亡くなりました。

1934年 キュリー夫人死去…ラジュームを発見して夫ピエールといっしょにノーベル物理学賞をもらい、夫の死後ラジュームの分離に成功してノーベル化学賞をえた女性科学者キュリー夫人が亡くなりました。
投稿日:2014年07月04日(金) 05:49

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)