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「城ヶ島の雨」 の梁田貞

今日7月3日は、日本声楽界のパイオニアとして「城ヶ島の雨」などを作曲し、「どんぐりころころ」「とんび」などの童謡まで、広いジャンルにわたる名曲を残し、音楽教育に尽力した作曲家の梁田貞(やなだ ただし)が、1885年に生まれた日です。

札幌市に生まれた梁田貞は、子どものころから琴や笛、琵琶に親しみ音楽家をめざしました。1905年に東京音楽学校(現・東京芸大)を受験するものの失敗したことで早稲田大に在籍しながら再挑戦し、1909年に東京音楽学校本科声楽科に入学。声楽と作曲を学ぶうち、その実力が一部のプロに知られるようになります。そして1913年、研究科に在学中の梁田のもとに、島村抱月や松井須磨子の芸術座が北原白秋に依頼した「城ヶ島の雨」(♪ 雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる〜) の詞が「芸術座音楽会第1回演奏会」のわずか3日前に届けられました。

「夜を徹して作曲にとりくみ、演奏会当日に私(梁田)の歌唱によって披露すると、大好評。まもなく、いっせいを風靡する流行歌となりました」と後日語っています。

梁田は、同校卒業後に音楽教育の道へすすみ、「一人でもたくさんの子どもに音楽の素晴らしさを伝えたい」という信念から専任の教師にはならず、東京府立第一中学校(現日比谷高校)、玉川大学、東京音楽学校、早稲田大学などたくさんの学校の嘱託教師をつとめ、教えを受けた生徒の数は3万人をこえるといわれています。そのかたわら、今も親しまれている歌曲「昼の夢」や、「どんぐりころころ」「とんび」などの童謡に至るまで、300曲以上もの曲を残しました。

いっぽう詩人の葛原しげる、作曲家の小松耕輔と、毎週3人で集まり、討論を重ねながら、むずかしいといわれていた当時の唱歌教材をより親しめるものにしようと、『大正幼年唱歌』(12巻)『大正少年唱歌』(12巻)を出版しています。

梁田のめいにあたる崖敦子は、つぎのように述懐しています。「堅物を絵に描いたような人でした。戦中も闇取引の食物は絶対口にせず、生徒から『ライオン』とあだ名をつけられた大きな体は、がりがりにやせ細っていきました」と。そんな潔癖さが戦後までつづいたのでしょう。1959年に脳軟化症で亡くなりました。


「7月3日にあった主なできごと」

607年 遣隋使…聖徳太子は、小野妹子に国書を持たせ、隋(中国)に派遣させました。

1549年 キリスト教伝来…スペインの宣教師ザビエルは、弟子のヤジロウを案内役として、日本にキリスト教を伝えるために、鹿児島に上陸しました。
投稿日:2014年07月03日(木) 05:54

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)