児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  自然を穏やかに描いた川合玉堂

自然を穏やかに描いた川合玉堂

今日6月30日は、「二日月」「行く春」「彩雨」など、詩情豊かな独自の日本画を数多く残した川合玉堂(かわい ぎょくどう)が、1957年に亡くなった日です。

1873年、いまの愛知県一宮市の豪農で筆墨紙商の長男として生まれた川合玉堂(本名・芳三郎 玉堂=号)は、幼いころから絵が上手な子として知られ、14歳のときに京都に出て望月玉泉の門下になって本格的に学びました。1890年、17歳で幸野楳嶺の画塾に入って同門の竹内栖鳳らから大きな刺激を受けました。その間、「春渓群猿図」「秋渓群鹿図」が第3回内国勧業博覧会に入選を果たし、京都の新進として注目を集めるようになります。

1896年、23歳のとき上京すると橋本雅邦に師事し、1898年岡倉天心、雅邦、横山大観らが創立した日本美術院に当初から参加すると、日本美術院展覧会(院展)に次々と作品を発表して画名を高めていきました。1900年頃からは私塾「長流画塾」を主宰し、自然をおだやかに描く作風をはぐくみ、1907年に発表した「二日月」(東京国立近代美術館蔵) は大好評で出世作となったばかりか、同年の第1回文部省美術展覧会(文展)審査員に任命され、1915年からは東京美術学校(のちの東京芸術大)日本画科教授となり、日本画壇の中心的存在となっていきます。

1916年第10回文展に発表した「行く春」(東京国立近代美術館蔵) は、長瀞を主題にした大画面に切り立つ崖と清流、華やかな桜など覇気あふれる作品で、玉堂壮年期の六曲一双の力作といわれ、重要文化財に指定されています。また、1940年に発表した「彩雨」(東京国立近代美術館蔵)は、静かに降る秋雨にけむる色づいた雑木林、水車や古びた農家の藁葺屋根、二人の農婦などがさりげなくちりばめられ、詩情豊かに仕上げられているこの作品は、玉堂円熟期の代表作と讃えられています。

1931年にフランス政府からレジオンドヌール勲章、1933年にはドイツ政府から赤十字第一等名誉章を贈られ、1940年には文化勲章を受章しました。太平洋戦争中の1944年、かねてからひんぱんに写生に訪れていた東京都西多摩郡三田村(現青梅市)に疎開すると、亡くなるまで定住したことで、現在も、旧住居は「玉堂美術館」として保存されています。気前のよい人だったようで、何かをもらうたびにお礼に絵をあげたらしく、佳作が散逸してしまったのはいささか残念な気がします。


「6月30日にあった主なできごと」

1898年 日本初の政党内閣…それまでの内閣は、長州藩や薩摩藩などの藩閥が政権を担当していましたが、自由党と進歩党がひとつになった憲政党が、大隈重信を首相に、板垣退助を内務大臣に内閣が組織されたため、大隈の「隈」と板垣の「板」をとって隈板(わいはん)内閣といわれました。しかし憲政党に分裂騒ぎがおき、組閣後4か月余りで総辞職を余儀なくされました。

1905年 相対性理論…20世紀最大の物理学者といわれるアインシュタインが、相対性理論に関する最初の論文「運動物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌に発表しました。
投稿日:2014年06月30日(月) 05:21

 <  前の記事 『芸術家列伝』 のバザーリ  |  トップページ  |  次の記事 マルクスと対立したバクーニン  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/3361

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2015年01月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)