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「院政」 を創始した白河天皇

今日6月19日は、初めて院政をはじめ、43年間もその地位についた白河天皇(上皇・法皇)が、1129年に亡くなった日です。

1053年、後三条天皇の第一皇子として生まれた白河天皇は、1069年に立太子、1072年20歳で即位しました。しかし当時は、天皇に代って政治をおこなっていたのは、摂政や関白となっていた藤原家で、これに対抗するために後三条天皇は、上皇となって「院」で政治を行う意志を固めました。ところが、これを実施する前の1073年に、亡くなってしまいました。

父の遺志をうけついだ白河天皇は、荘園整理などに力を入れ、1081年には八幡宇佐神宮境内地に神宝塔院を建立するなど、摂関家の権勢を弱める努力をしました。やがて1086年11月、藤原家の意向を無視して、実子である8歳の善仁(たるひと)親王を皇太子(のちの堀河天皇)に立て、同日位を譲りました。

白河上皇となると、幼帝を後見すると称して「院庁(いんのちょう)」で政務を執る、いわゆる「院政」がはじまりました。摂政や関白は置かれたものの以前の勢いはなくなっていました。皇太子が堀河天皇になると、上皇の政治介入に反発する関白の藤原師通とともに政治を行いましたが、師通の急逝による摂関家内部の混乱と、それに続いて堀河天皇が亡くなったために、上皇の孫で幼帝の鳥羽天皇を立てました。こうして天皇の補佐を行うようになったのと、若く政治的に未熟な摂政・藤原忠実の登場によって、結果的に白河上皇に権力が集中していきました。

権限を掌握した白河上皇は、受領(ずりょう)という地方に下った中流貴族を院庁に集め、荘園を認めない方針を打ち出したことで、結果的に皇室所有の荘園が増えていき、これを受領層に与えました。これに不平や反発する者をおさえるために「北面の武士」をおき、院の警備にあたらせました。

1096年には、出家して「法皇」となり、法勝寺などの多くの寺院や仏像をつくらせたことで、財政が悪化しました。僧兵の強訴が多くなったことで、「賀茂の水、双六の賽(さい)、山法師、これぞわが心にかなわぬもの」といった白河法皇の言葉は有名です。なお、白河上皇は奔放な女性関係でもよく知られ、平清盛は上皇の子であるといわれています。


「6月19日にあった主なできごと」

645年 元号のはじまり…元号とは、明治・大正・昭和・平成のような年代の数え方で、645年のこの日、蘇我氏を倒した中大兄皇子(のちの天智天皇)が、わが国初の元号「大化」を定めました。江戸時代以前は、大きなできごとがあるたびに元号が変わっていましたが、明治から、天皇の即位から亡くなるまでを一つの元号とする「一世一元制」となりました。

1909年 太宰治誕生…『人間失格』『走れメロス』『斜陽』『晩年』『ヴィヨンの妻』などを著した作家太宰治が生れました。なお、この日は、1948年に入水自殺した太宰の遺体が発見された日でもあり、「桜桃忌(おうとうき)」とよばれて、太宰をしのぶ人たちが、三鷹市禅林寺にあるお墓の前に集うことで知られています。
投稿日:2014年06月19日(木) 05:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)