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『経国美談』 の矢野龍渓

今日6月18日は、「郵便報知新聞」の社長を務めながら政治小説の先駆的な作品を発表し、政治家・官吏・民権運動家としても活躍した矢野龍渓(やの りゅうけい)が、1931年に亡くなった日です。

1851年、豊後国(今の大分県)佐伯藩の中級武士の長男として生まれた矢野龍渓(本名・文雄)は、幼いころから父や祖父から儒教や西洋の知識を授けられ、藩校に学んで攘夷の精神を身につけました。1868年の鳥羽・伏見の戦いでは、藩主にしたがって京都に上り、朝廷側の分隊長として禁裏御門の警護に当たりました。明治維新後に一家で上京すると、洋学を志し、1871年に慶応義塾へ入門して英米の憲法史を研究しました。

1873年に卒業後は、義塾の講師をつとめながら、翌年『西洋偉人言行録』を出版、義塾の大阪分校校長などを歴任します。1879年には福沢諭吉に推されて大隈重信のいる大蔵省に入ると、大蔵書記官や会計検査局員に抜てきされ、1880年には小幡篤次郎らと私擬憲法の起草に加わりました。1881年に大隈が「郵便報知新聞」を買収すると、同社の副主筆に就任するいっぽう、大隈らが中心となった立憲改進党の結成にも参画しています。1911年の「明治十四年の政変」で参議をやめさせられた大隈とともに政界を追われると、「郵便報知新聞」にもどり、社長となって健筆をふるいました。

ところが、立憲改進党の運営にもたずさわるなど過労がたたって病床につくと、憲政を打ち立てるのに役立つような政治小説を作ろうと構想、1883年に『経国美談』を「郵便報知新聞」紙上に連載を開始すると好評で、前編をまとめて刊行したところ、大評判となって版を重ねました。

この著は、紀元前4世紀の古代ギリシャに題材をもとめた作品で、当時はスパルタが権力を握っており、小さな都市国家のテーベもその支配下に入りました。これに対し、テーベの独立と民政を願う青年政治家ペロビダスとエパミノンダスは、力をあわせてスパルタと闘い、民政を回復するまでを描いたものが前編、後編はスパルタの侵略を退け、テーベがギリシャの盟主となる過程を描いたものでした。

特に前編第11回目の「春の花」は、民権運動家たちを鼓舞し、松林伯圓や川上音二郎が講談として演じたと伝えられています。1884年2月に出された後編もよく売れて、翌年から新聞事業視察のために欧米を訪れ、帰国後は購読料の引き下げ、記事の充実、文体の平易化、配達の敏速化といった改革を進めました。

1888年に新聞経営の第一線から身を引いて、宮内省式部官となりますが、1897年に外務大臣となった大隈の要請で清国特命全権公使となり、2年間北京に滞在して、日清戦争後における清国外債借入問題を処理しました。

その他の矢野の著作として、資本主義と社会主義の調和を説いたユートピア小説『新社会』、海外雄飛の夢を抱く日本人がインドネシアの民族独立運動に加わる冒険小説『浮城物語』、文体の改良を説いた『日本文体文字新論』などがあります。


「6月18日にあった主なできごと」

1815年 ワーテルローの戦い…エルバ島から脱出したフランス皇帝ナポレオン1世は、イギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍に、「ワーテルローの戦い」で敗れました。

1940年 レジスタンス…ヒトラー率いるドイツとの戦いに敗れ、首都パリが陥落すると、フランス軍将軍のド・ゴールはイギリスへ亡命することを決断。ロンドンのBBCラジオを通じて、対独抗戦の継続と抵抗(レジスタンス)をフランス国民に呼びかけました。

1945年 ひめゆり学徒隊集団自決…太平洋戦争の末期、沖縄では一般市民を巻きこんだ地上戦が行なわれていました。この戦いで、負傷兵の看護を行なってい女子学徒隊は、軍に解散命令を出されたことでアメリカ軍に包囲された洞窟内で、49名が集団自決をしました。さらに沖縄戦終了までに、生徒123人、教師13人が亡くなりました。その霊をなぐさめ、悲劇を二度とくりかえしてはならないという願いをこめた「ひめゆりの塔」が、沖縄県糸満市に建てられています。
投稿日:2014年06月18日(水) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)