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「承久の乱」 と北条義時

今日6月13日は、鎌倉幕府を創始した源頼朝の妻北条政子の弟で、政子や大江広元らに支えられて執権政治の基盤をこしらえた第2代執権の北条義時(ほうじょう よしとき)が、1224年に亡くなった日です。

1163年、初代執権北条時政の次男として生まれた北条義時は、1180年に父とともに源頼朝の平氏追討の旗揚げに加わり、石橋山合戦に敗れるものの安房に逃れ、房総や武蔵の武士団を組織化することに成功して、鎌倉を本拠とする鎌倉幕府の原型をつくりあげました。

頼朝存命中は、側近として仕えるものの表だったものはありませんでした。ところが、1199年に頼朝が亡くなると、跡を継いだ2代将軍源頼家の権限を制限し、政務を十三人の合議制で行うことになり、37歳の義時もこれに加わりました。

やがて頼朝の腹心だった梶原景時を失脚させ、1203年には頼家の後見人の比企能員(ひきよしかず)を謀殺、頼家を追放して12歳の実朝を3代将軍に擁立、政所(まんどころ)別当(べっとう=長官)となりました。さらに1205年、時政の後妻である牧の方が、3代将軍実朝を暗殺しようとする陰謀に時政がかかわったとして父を追放し、代って執権となりました。常に姉の政子と実朝を表面に立てながら、ともに政所別当となっていた大江広元、頼朝の流人時代以来の近臣安達景盛らと連携し、幕政の最高責任者としての実権を握りました。

その後も有力武士への攻撃は続き、幕府創設以来の重鎮で侍所別当の地位にあった和田義盛を1213年に滅ぼし、義盛に代わって侍所別当となり、政所別当と合わせて幕府の要職を独占、北条氏の幕府指導者としての地位を定めました。

1219年に実朝が鶴岡八幡宮で、頼家の子公暁(くぎょう)に暗殺されると、皇族将軍を後鳥羽上皇に働きかけたものの、上皇は留保しただけでなく、1221年に義時追討の院宣を諸国に発しました。義時は、子息泰時や弟時房らを京都に出兵させて上皇軍に大勝しました(承久の乱)。この乱後に、後鳥羽上皇を隠岐の島に配流したのをはじめ、土御門・順徳上皇を配流、仲恭天皇を退位させ、京都に幕府の出先機関である六波羅探題をおきました。また、上皇方についた3000か所もの貴族や武士らの所領を没収して、御家人に分配して「新補地頭」としたことで、幕府の権力は畿内や西国にも広く及ぶようなりました。

なお、義時への戦前の評価は、3人の上皇の配流をはじめ、実朝暗殺をしくみ、父時政ら有力御家人を次々に失脚させて権力を握った悪らつな人物とされてきました。しかし、中世には、北畠親房が『神皇正統記』で、後鳥羽上皇の義時追討を非難し、義時には失政がなかったとし、『建武式目』には「義時・泰時父子の行状こそ近代の師となす」と高く評価されていました。戦後は、中世の評価に近いものとなり、実朝暗殺をしくんだという通説にも、義時にはその口実がないという説が有力になっています。


「6月13日にあった主なできごと」

1931年 北里柴三郎死去…ドイツのコッホに学び、ジフテリアや破傷風の血清療法の完成やペスト菌の発見など、日本細菌学の開拓者 北里柴三郎が亡くなりました。

1948年 太宰治死去…『人間失格』『走れメロス』『斜陽』『晩年』 などを著した作家・太宰治が、玉川上水で心中しました。
投稿日:2014年06月13日(金) 05:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)