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「中国近代文学の先駆者」 郭沫若

今日6月12日は、中華民国・新中国の政治家であり、文学者・歴史家として活躍した郭沫若(かく まつじゃく)が、1978年に亡くなった日です。

1892年、四川省の楽山県に生まれた郭沫若は、成都の中学を卒業後の1914年に日本へ留学、第一高校予科、岡山の第六高校を経て、九州帝国大学医学部を卒業しました。しかし、耳の病のために医者の道をあきらめ、高校時代から親しんできた文学活動を志し、1921年に郁達夫(いく たつふ)らと文学団体「創造社」を設立し、「創造季刊」を発行しました。まもなく、旧社会への反逆と個性の解放、芸術至上主義をかかげるうち、中国近代文学におけるロマン主義の旗手といわれるようになります。

やがて、ロシア革命の影響を受けて1926年に帰国すると、蒋介石率いる国民党に参加し、北伐軍の総政治部主任となりました。ところが、国民党と中国共産党の合同がやぶれて抗争をはじめると、共産党に入党して南昌蜂起に参加したため国民党に追われ、1928年2月日本へ亡命します。千葉県市川市に居を構えて、中国の古代社会の研究や文学活動に力をそそぎました。1937年に日中戦争が勃発すると、日本人妻らを残して帰国。上海や重慶などで国民政府の下で、抗日反戦運動を展開するいっぽう、戯曲『屈原』を発表して、大きな反響を呼びました。

1945年に日中戦争が集結し、内戦を回避したいと努力するもの及ばず、1948年中華人民共和国に参画して、新中国の副総理・科学院院長などの要職に就くいっぽう、『蔡文姫』『武則天』などが北京人民芸術劇院で上演されて人気をよび、特に『蔡文姫』は、21世紀の今日までくりかえし上演されています。

1958年に中国共産党へ入党後は、発言や作風が毛沢東に迎合するようになり、文化大革命発生直後の1966年には「私が以前に書いた全ての作品は焼き捨てるべきで少しの価値も無い」との自己批判を行って、数々の文学者が抹殺されるなか、知識人の思想改造の成功例として毛沢東の庇護を受けたことはよく知られています。また毛沢東や江青らの詩を賛美したり、批林批孔運動に乗って『李白と杜甫』で杜甫をおとしめたり、四人組の逮捕後は一転して彼らを批判するなど、文革期の郭沫若の言動には、疑問を投げかける識者が多いのも事実です。


「6月12日にあった主なできごと」

1827年 シュピリ誕生…『アルプスの少女ハイジ』を著したスイスの女流児童文学者シュピリが生まれました。

1942年 アンネの日記…ナチスのユダヤ人迫害により、ドイツのフランクフルトからのがれ、オランダのアムステルダムの隠れ家で暮していたアンネ・フランクは、両親からこの日の誕生日に日記帳をプレゼントされました。密告されて一家は捕えられ、アンネは1945年15歳でユダヤ人収容所で病死しますが、1944年8月までのおよそ2年間綴られた日記は、戦争の恐ろしさと、つらい生活の中でもけなげに成長してゆく内容に、今も世界じゅうの人たちを感動させています。
投稿日:2014年06月12日(木) 05:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)