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レーニンと敵対したケレンスキー

今日6月11日は、ロシア革命の指導者の1人で、臨時政府首相を務めたロシアの政治家ケレンスキーが、1970年に亡くなった日です。

1881年、ボルガ川中流域にあるシンビルスク(現・ウリヤノフスク)に、中学校長の子として生まれたアレクサンドル・ケレンスキーは、1904年にペテルブルク大学法学部を卒業後、弁護士となりました。主として政治犯の弁護に当たるうちに評判となり、1912年に社会革命党議員になります。同年、東シベリアにあるレナ川流域の金鉱で労働者らが軍に射殺された「レナ虐殺事件」が起こりると、真相調査団長として活躍して有名になりました。

第一次世界大戦がはじまると、秘密政治結社に所属してロシアの民主化のために行動しながら、国会でも名演説家として定評をえました。1917年2月、ペトログラード(現サンクトペテルブルク)のデモをきっかけに「2月革命」がおこると、ケレンスキーは国会に革命を引き込んで「臨時政府」をおこし、ソビエト(労働者・兵士協議会)副議長となるいっぽう、臨時政府の司法大臣、5月には陸軍大臣となり、市民改革および第一次世界大戦の戦争継続を主張、7月には臨時政府首相と最高司令官を兼ねるまでになります。連合国や資本家と協力して軍隊の増強をはかり、穏健な社会主義政党や立憲民主党とともに、勃興してきたボルシェビキ(レーニンを指導者とするのちのソ連共産党)と敵対しました。

10月上旬、レーニンが臨時政府の打倒を呼びかけると、ケレンスキーはボリシェビキの機関誌印刷所などを襲撃させました。しかしトロツキー率いる赤軍は、印刷所を回復すると、郵便局、発電所、銀行を占領、10月25日にはペトログラードで全面的な蜂起を行いました(十月革命)。不利をさとったケレンスキーは、ペトログラードの冬宮を女装してアメリカ大使館の車でプスコフにのがれ、この地のコサックを率いて再び首都奪還を試みるものの敗退、隠れ家に数週間過ごした後、フランスに亡命しました。

その後アメリカに移り、1940年代以降は米国内で大学講師となって「ロシア革命史」を教えたり、研究所の職員などをしながら臨時政府時代の資料を整理し、回想記を数冊残しました。特に最晩年に著した『ケレンスキー回想録』は、資料的に高く評価されています。


「6月11日にあった主なできごと」

1873年 わが国初の銀行…「第一国立銀行」が日本橋兜町に創立し、初代頭取に渋沢栄一が就任、立派な西洋建築は、東京の名所となりました。その後国立銀行は、1879年までに全国各府県に153行が設立されていきました。

1899年 川端康成誕生…『伊豆の踊り子』『雪国』 など、「生」の悲しさや日本の美しさを香り高い文章で書きつづった功績により、日本人初のノーベル文学賞を贈られた作家・川端康成が生まれました。

1916年 ジーン・ウェブスター死去…手紙形式で書かれた名作『あしながおじさん』などを著した、アメリカの女流作家ジーン・ウェブスターが亡くなりました。
投稿日:2014年06月11日(水) 05:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)