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ステンカ・ラージンの乱

今日6月16日は、17世紀のツァーリ専制時代のロシア南部で、大がかりな農民による抵抗運動を指揮したステンカ・ラージンが、1671年に亡くなった日です。その名は、ロシア民謡『ステンカ・ラージン』や、グラズノフの交響詩『ステンカ・ラージン』などに歌いつがれています。

1630年、ロシア帝国のドン・コサック(ウクライナと南ロシアなどに生活していた軍事的共同体)の豊かな家に生まれたステンカ(ステンパ)・ラージンは、1661年に修道院へ巡礼の旅に出た後に消息がとだえ、6年後に盗賊団のリーダーとなって再登場しました。ドン川を行きかう船を脅して金品を巻き上げるのです。しかしこの行為は、ドン・コサックの自由が、ミハイル・ロマノフの圧制によっておかされ、農民たちが悲惨な生活を強いられたことへの反発からでした。

1667年ラージンは、下層農民たちを組織すると、その海賊行為はドン川からボルガ川に移り、金持ちの商人の積荷を積んだ船団などを撃破しながら、カスピ海に達し、政府の穀物倉庫や船を襲いました。1670年には、再び数千人の仲間をしたがえて、ツァリーツィン(今のボルゴグラード)などボルガ川中・下流域の諸都市を陥落させ、アストラハンに進軍し、コサックの共和国としました。

さらに、モスクワに攻めこもうとアストラハンを発つと、抑圧されていた農民たちばかりでなく政府軍の一部も加わったロシア史上最大の農民一揆となって、、サラトフとサマーラを陥落させ、シンビルスク(現・ウリヤノフスク)に達しました。しかし、ドルゴルーキー公率いるロシア政府の大軍に苦戦して負傷したため、軍勢をととのえるためにドンに退却します。しかし翌4月、兄の裏切りにあい、モスクワに連行され、ひどい拷問の末、赤の広場で生きたまま四つ裂きの刑に処せられてしまったのでした。


「6月16日にあった主なできごと」

756年 楊貴妃死去…中国・唐の時代、玄宗皇帝の妃となりましたが、安禄山の反乱(安史の乱)を引き起こした「傾国の美女」と呼ばれる楊貴妃が亡くなりました。

1699年 河村瑞賢死去…江戸の大火事の際、木曾の材木を買い占めて巨富を得、事業家として成功した河村瑞賢が亡くなりました。

1924年 三民主義…現代中国の生みの親ともいわれる孫文は、民族・民権・民生主義を総合する「三民主義」の革命理論の講演をし、孫文指導下の国民運動は最高潮に盛り上がりました。

1963年 女性初の宇宙旅行…ソ連(ロシア)の宇宙飛行士テレシコワは、ボストーク6号で地球を48周、70時間以上の宇宙飛行に成功しました。
投稿日:2014年06月16日(月) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)