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「油彩画の創始者」 ファン・アイク

今日6月9日は、『アンノルフィー二夫妻の肖像』『赤いターバンの男』などを描いたフランドル(ベルギー)の画家ファン・アイクが、1441年に亡くなったとされる日です。

イタリアに興ったルネサンスは、アルプスを越え、ドイツやネーデルランド地方(現在のオランダ・ベルギー・ルクセンブルクなど)にもひろがっていきました。その波は「北方ルネサンス」とよばれ、デューラーやブリューゲルらを輩出して独自のスタイルを創りあげていきましたが、その初期には、フランドル派の芸術家たちが油彩画をあみだし、絵画の表現力を飛躍的に高めました。その代表とされるのがファン・アイクです。

1390年ころに生まれましたが、幼少期についてはほとんどわかっていません。若いころに自身の工房を経営し、ハーグのホラント伯の宮廷に出入りしながらビネンホフ城の装飾の仕事に従事していました。1425年ころからブルゴーニュ公フィリップ3世(善良公)の宮廷画家に抜てきされ、外交官として遠国に派遣されたりしました。とくに1428〜29年にはポルトガルに滞在し、同国のイサベラ王女とフィリップ3世との結婚をとりまとめ、王女の肖像画を残しています。

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ファン・アイクの画家としての能力はきわめて高度なもので、とくに1434年に描かれたとされる『アンノルフィー二夫妻の肖像』(ロンドン・ナショナルギャラリー蔵・上の絵)は、名作として有名です。イタリア人商人アルノルフィーニとその妻が、邸宅の一室に手をとりあってたたずむ姿を描いた作品ですが、幾何学的遠近の正確な表現や質感、左方からさしこむ光線の効果による人物の肉付けやその迫真性、背面の壁にかけられた凸面鏡に映し出される反転した情景など、西洋美術史上でもきわめて独創的で複雑な構成を持った作品とされています。婚姻契約の場面を記録するために描かれたきわめてめずらしい作品とする美術史家もいます。

ファン・アイクの代表作としては、ほかに『宰相ロランの聖母』『ルッカの聖母』『ファン・デル・パーレの聖母子』などが知られていて、その名がブルゴーニュ公国ばかりでなく、諸外国にまで名声が広まっていたのは、当時のブルゴーニュ公国が政治、芸術の中心地だったことが影響していたといわれています。


「6月9日にあった主なできごと」

1671年 ピョートル大帝誕生…ロシアをヨーロッパ列強の一員とし、バルト海交易ルートを確保したピョートル大帝が生まれました。

1781年 スチーブンソン誕生…蒸気機関車の実用化に成功したイギリスの技術者スチーブンソンが生まれました。

1870年 ディッケンズ死去…『オリバー・ツイスト』『クリスマスキャロル』『二都物語』 など弱者の視点で社会諷刺した作品群を著しイギリスの国民作家といわれるディケンズが、亡くなりました。

1886年 山田耕筰誕生…『からたちの花』『赤とんぼ』『この道』などの作曲をはじめ、世界的に著名な交響楽団を指揮するなど、国際的にも活躍した音楽家山田耕筰が生まれました。
1923年 有島武郎死去… 志賀直哉・武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加し、『一房の葡萄』『カインの末裔』『或る女』などの小説、評論『惜みなく愛は奪ふ』を著した有島武郎は、この日軽井沢の別荘で雑誌編集者と心中、センセーションをまきおこしました。
投稿日:2014年06月09日(月) 05:56

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)