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「映画の父」 リュミエール兄弟

今日6月6日は、映画の撮影機と映写機を兼ねた「シネマトグラフ」を開発し、世界初の実写映画を公開したフランスの発明家で製作者・リュミエール兄弟の弟ルイが、1948年に亡くなった日です。

1864年、フランス東部のブザンソンに写真館の子として生まれたルイ・リュミエールは、1881年に父の仕事を手伝いはじめ、やがて感光剤やガラス乾板の研究・改良を行うようになりました。ルイの研究が評判になると、父はリヨンにガラス乾板の工場を開設しました。さらに1890年ころ、ルイが開発した乾板感光剤「エチケット・ブルー」が大ヒットすると、アメリカのイーストマンが興したコダック社と世界の覇権を争うほどになりました。

1894年、パリで公開されたエジソンの開発したのぞき回転盤「キネトスコープ」に刺激されたルイは、2歳上の兄オーギュストの協力をえて、一度に多くの人々がスクリーンに投影された動画を鑑賞できる撮影機と映写機を兼ねた「シネマトグラフ」を開発しました。翌95年に特許をとると、同年末に世界最初の実写映画『リュミエール工場の出口』など10本を有料公開しました。映写時間はわずか20分程度でしたが、とくに『ラ・シオタ駅への列車の到着』では、カメラに向かってくる汽車を見て観客が大騒ぎしたという話が伝わっています。

その後、兄弟は「リュミエール協会」を作ってたくさんのカメラマンを養成すると、世界じゅうにカメラマンを派遣し、モスクワでは『帝政ロシア皇帝ニコライ二世の戴冠式』を、ワシントンでは『マッキンリー大統領の戴冠式』などを制作しています。兄弟が制作した60本を含め、同協会が制作した総本数は2000本をこえるといわれています。

その後兄弟は、1900年のパリ万博で自作を大型スクリーンに上映してからは、特許を売り渡して映画事業から撤退、フィルムの改良に取組んで、1907年には世界初の実用カラー写真「オートクローム」を発売しますが、1920年には引退しています。いっぽう、兄弟の活動に刺激を受けたエジソンが、劇映画製作に乗り出していったのとは対照的な生き方でした。


「6月6日にあった主なできごと」

1281年 弘安の役…モンゴル(中国・元)の皇帝フビライの軍は、文永の役から7年後のこの日、再び大軍を率いて北九州の志賀島に上陸しました。苦戦していた日本軍でしたが、折からの暴風雨により元軍は総崩れとなって7月初めに退散しました。日本を救ったこの暴風雨は「神風」といわれますが、鎌倉幕府は手柄のあった者に恩賞を与えることができず、衰退を速めることになりました。

1599年 ベラスケス誕生…スペイン絵画の黄金時代を築いた17世紀を代表する巨匠ベラスケスが生まれました。

1944年 ノルマンディ上陸作戦…第2次世界大戦中、ドイツが占領していた北フランスの海岸ノルマンディに、17万6千人の連合国軍が上陸に成功、これがきっかけになってフランス各地のドイツ軍を打ち破り、8月25日にパリ解放に成功しました。
投稿日:2014年06月06日(金) 05:22

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)