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『最後の一葉』 のオー・ヘンリー

今日6月5日は、「アメリカのモーパッサン」といわれる短編の名手で、生涯に300編以上も著した作家のオー・ヘンリーが、1910年に亡くなった日です。

1862年、ノースカロライナ州グリーンズボロに医師の子として生まれたオー・ヘンリー(本名・ウィリアム・シドニー・ポーター)は、3歳の時に母を失い、叔母によって育てられました。15歳で学業を離れると、テキサスに移り住んで牧場で働いたり、店員、薬剤師、ジャーナリスト、銀行の出納係などさまざまな職を転々とかえながら過ごしました。

ところが1896年、以前に働いていた銀行の金を横領した疑いで起訴されると、裁判中にホンジュラスへ逃亡したことで、8年間服役することになってしまいました。獄中で書いた小説をひそかに新聞社や雑誌社に送ったところ、3作品が採用されて出版されたこと、獄中でも薬剤師として働くなど模範囚だったことから3年に減刑され、1901年に釈放されたのでした。

1902年にニューヨークへ移ると、『ニューヨーク・ワールド』紙に毎週1編の作品を掲載するなど、作品を次々に発表するうち、どこにもいるような人々が暮らしの中で感じる悲哀をたくみな筆運びでひきつけ、意外な結末で読者をあっといわせる手法は、大評判となりました。代表作『最後の一葉』もそのひとつです。

古びたアパートの3階に、画家をめざす娘のジョンジーとスーが住んでいました。ある日ジョンジーは重い肺炎にかかってしまいます。
スーは、医者から「このままでは助かる可能性は十のうち一つ」と告げられました。心身ともに疲れ、人生になかば投げやりになっていたジョンジーは、窓の外に見えるレンガの壁をはう蔦(つた)の葉を数え、「あの葉がみんな落ちたら、自分も死ぬ」とつぶやきます。
スーは、そのことを階下に住む老画家で、いつか傑作を描いてみせると豪語しているものの酒ばかり飲んでいるベアマンに伝えます。
その夜、一晩中激しい風雨が吹き荒れ、朝には蔦の葉は最後の一枚になっていました。その次の夜も激しい風雨が吹きつけたもののの、翌朝になっても最後の一枚がとどまっているのを見たジョンジーは、自分の弱気な思いをあらため、生きる気力を取りもどします。
最後に残った葉は、ベアマンが嵐の中はしごに昇り、レンガの壁に絵筆で描いたものでした。ジョンジーは奇跡的に快方にむかうの対し、ベアマンは肺炎になり、最後の一葉を描いた2日後に亡くなってしまいます。
真相をさとったスーは、「あの最後の一葉こそ、ベアマンさんがいつか描いてみせるといい続けていた傑作だったのよ」と、ジョンジーに語るのでした……。

その後のオー・ヘンリーは、流行作家になるものの過度の飲酒から身体をこわし、肝硬変により47年の生涯を閉じました。小説を書き始めてからわずか10年ほどのことでした。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、オー・ヘンリーの『最後の一枚の葉』(結城浩訳)ほか3編を読むことができます。 


「6月5日にあった主なできごと」

1215年 栄西死去…鎌倉時代の初期、禅宗の日本臨済宗をひらいた僧・栄西が亡くなりました。栄西は、茶の習慣を日本に伝え、茶の湯のもとをきずいたことでも知られています。

1864年 池田屋騒動…京都三条木屋町の旅館・池田屋に、京都の治安組織で近藤勇の率いる新選組が、公武合体派の守護職松平容保(会津藩主)らの暗殺を計画していた尊皇攘夷派の志士を襲撃、およそ2時間にわたり斬り合い、志士数名を殺害しました。

1882年 柔道道場…嘉納治五郎は、東京下谷の永昌寺に柔道の道場(のちの講道館)を開きました。
投稿日:2014年06月05日(木) 05:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)