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『大漢和辞典』 の諸橋轍次

今日6月4日は、世界最大の漢和辞典『大漢和辞典』や『広漢和辞典』などを著した諸橋轍次(もろはし てつじ)が、1883年に生まれた日です。

いまの新潟県三条市に生まれた諸橋轍次は、幼いころから父に「三字経」の素読を学んだり、地元の小学校卒業後は独学で「漢学」を学ぶなど、幼少年期から漢字に深く親しみました。新潟第一師範学校をへて、1908年に東京高等師範学校(現・筑波大)国語漢文科を卒業すると母校の教師となり、1919年には文部省の命を受けて中国哲学・文学研究のため2年間中国留学をしましたが、満足な辞書がなかったことが、のちの辞書づくりに反映されたようです。

帰国後に、同校教授となって漢学の指導に当たるいっぽう、岩崎弥太郎・小弥太父子が創設した世界的な漢文図書館「静嘉堂文庫」の責任者となりました。1925年に大修館書店社長の鈴木一平から巨大な漢和辞典の構想を持ちかけられると、これを受けて1928年から取り組みを開始し、1943年に『大漢和辞典』の第1巻目を完成させました。しかし、1945年3月の東京大空襲で大修館が罹災して組み上がっていた印刷用の版をすべて失ったことで中断、1からのやりなおしの作業に取り組みながらも、ついに1960年、『大漢和辞典』全13巻を完結させました。右目の失明を乗り越えた30年間の苦闘の成果でした。収録された漢字約5万、熟語約53万、用例数が豊富なだけでなく、それぞれの語の出所を明記した作業は、本場中国でも並ぶものがありません。

この功績により、1965年に文化勲章を受章。その後も追補・改訂作業をすすめたほか、1972年に『中国古典名言事典』、1982年には大漢和の縮小版である『広漢和辞典』を刊行すると、この年の12月、99年の生涯を閉じました。


「6月4日にあった主なできごと」

822年 最澄死去…平安時代の初期に、天台宗をひらいた僧の最澄が亡くなりました。

1928年 張作霖爆殺…軍閥政治家で、中国東北部奉天派の首領だった張作霖が、日本の関東軍によって爆殺されました。

1989年 六四天安門事件…言論の自由化を推進し「開明的指導者」として国民の支持を集めた胡耀邦の死がきっかけとなって、中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対して、「中国人民解放軍」は戦車、装甲車を出動させ無差別発砲を行なって武力弾圧。中国共産党の発表は、死者は319人としていますが、数百人から数万人の多数におよんだといわれます。
投稿日:2014年06月04日(水) 05:53

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)