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「プラグマティズムの大成者」 デューイ

今日6月2日は、20世紀前半のアメリカ哲学・教育・思想界を代表するデューイが、1952年に亡くなった日です。

1859年、バーモント州バーリントンの小規模な食料品店を営む両親の3男に生まれたジョン・デューイは、少年のころから新聞配達や農場の手伝いなどをしながら生活の手助けをし、15歳で名門バーモント大学に入学してダーウィンの進化論、コントの実証主義哲学などを学びました。1879年に大学卒業後は小学校や高校教師を3年間勤務するうち教師は不向きと考え、1882年にジョンズ・ホプキンズ大学院に入り、論理学を学んで博士号を取得、1884年からミシガン大学の講師をへて、1889年に同大教授となりました。

1894年に、新設されたシカゴ大学に哲学・心理学・教育学の主任教授として招かれ、1896年には既存の心理学を根底からくつがえしたといわれる『心理学における反射弓の概念』を発表しています。1904年からはニューヨークのコロンビア大学で哲学教授となり、亡くなるまで50年近く務め、たくさんの実績を残しました。

その代表的なものが、19世紀にパースやジェームズによって広められた哲学「プラグマティズム」(実証主義)の大成です。デューイはこの哲学を「知識は道具」(道具主義)として集大成し、ものごとが正しいかどうかは行動の成果によって決まるものとしました。たとえば「公共性」というのは、@共通の目標 A協同しての活動 B主体的に参加 という順にすすめるべきで、みんなが「共通の目標」に向かって「協同して活動」し、その行動は「主体的に参加」することが望ましいとしています。アメリカ経済を立て直すという「共通目標」を設定したときも、どのように「協同して活動」していくべきなのか、というようなことを民主主義のあり方とするのがデューイ流の考え方の基本といってよいでしょう。学校教育もそうあるべきで、学校そのものを小型の「社会」、子どもの生活の場としての「共同体」にしていくことが大切だとして、その理論を実行に移した実験授業を3年間行った成果を『学校と社会』や『民主主義と教育』に著しています。

そのほか、論理学に関しては、ミルの『論理学体系』への応答というべき『論理学探究の理論』を、倫理学には、カントやベンサムの理論を批判したタフトとの共著『倫理学』を著すなど多作家で、トマスという人の作成した「デューイ著作目録」は、150ページにものぼるといわれています。1919年には来日し、日本の哲学界を刺激したばかりか、戦後のわが国の教育にも大きな影響を与えました。


「6月2日にあった主なできごと」

1582年 本能寺の変…天下統一を目前にした織田信長が、家臣明智光秀の謀反により自刃した事件「本能寺の変」がおきました。

1716年 尾形光琳死去…江戸時代の中期、町人文化が栄えた元禄期を代表する画家で『紅白梅図屏風』『燕子花図屏風』などを描いた尾形光琳が亡くなりました。

1882年 ガリバルディ死去…フランスやオーストリアなどに支配され、たくさんの国に分れていたイタリアを、イタリア王国として統一させたガリバルディが亡くなりました。

1953年 エリザベス2世戴冠…1952年にイギリス国王に即位したエリザベス2世女王の戴冠式が、ロンドンのウェストミンスター寺院で行なわれました。女王パレードには、100万人以上の人が歓迎したと伝えられています。元首の地位は名義的なものであっても、イギリス連邦の団結や各国との親善の役割には大きなものがあります。
投稿日:2014年06月02日(月) 05:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)