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「初の女子医学校」 と吉岡弥生

今日5月22日は、日本初の女医養成機関の「東京女医学校」を設立させ、女性医の養成や医学の教育・研究の振興に尽くした吉岡弥生(よしおか やよい)が、1959年に亡くなった日です。

1871年、いまの静岡県掛川市に、漢方医鷲山養斎の長女として生まれた弥生は、父が西洋医学にも興味を持っていたことから、地元の小学校を卒業すると上京、1889年に当時唯一の医学校だった湯島の済生学舎(現・日本医科大)に入学しました。男女共学になって間がなかったためか、男子が女子の授業を妨害するようなことがたびたびありました。弥生は「女医学生懇談会」を作り、卒業生の女子医師を顧問にして対抗し、1892年には、内務省医術開業試験に合格して、日本で27人目の女医となっています。

卒業後は帰省して、父の仕事を手伝いましたが、1895年に再上京し、昼間は開業をしながら夜はドイツ語を教える私塾・東京至誠学院に通学、同年秋に院長の吉岡荒太と結婚すると、2年後同学院校内に至誠医院を開院しました。

1900年、済生学舎が女性の入学を拒否したことを知ると、すぐに女子学生の医学校を作る決意をし、同年年末には、わが国初となる東京女医学校(現・東京女子医大)を創立しました。設備や教材が足りないため、弥生は自分の出産を教材に使用したと伝えられています。1906年に医師法が制定され、専門学校だけが医師試験に受験できると定められると、努力を重ねて、1912年に同校を東京女子医学専門学校に昇格させ、1920年には文部省指定校となって、同校の卒業生は国家試験を受けることなく医師資格が取れるようになりました。

ところが、太平洋戦争中にさまざまな婦人・青年団組織の要職について社会活動を指導したことから、敗戦後にGHQから、その行為が戦争協力とされ、1947〜51年まで公職追放されてしまいました。しかし、解除後の1952年に、81歳で念願の「東京女子医科大」の学頭に就任しています。


「5月22日にあった主なできごと」

1333年 鎌倉幕府滅亡…新田義貞が鎌倉幕府の執権北条高時を討ち、鎌倉幕府が滅びました。

1775年 蒸気機関の特許…イギリスのエンジニアであるワットは、凝縮機、調速機、変速機の発明など蒸気機関の改良をおこなって、この日特許を取得しました。ワットの蒸気機関は、鉱山や工場で広く用いられ、産業革命の原動力となりました。
投稿日:2014年05月22日(木) 05:16

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)