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「文化人類学の創始者」 マリノフスキー

今日5月16日は、ポーランド出身でイギリスを中心に活躍した人類学者のマリノフスキーが、1942年に亡くなった日です。

1884年、当時オーストリア・ハンガリー帝国領だったポーランドのクラクフに生まれたブロニスワフ・カスペル・マリノフスキーは、幼いころに父を亡くし母との2人暮らしをしながら勉学にはげみ、クラクフ大学で物理学を専攻、1908年に学位を取得しました。ちょうどそのころ、社会人類学者のフレイザーによって著された未開社会の神話・呪術・信仰に関する大著『金枝篇』を読んで感銘を受けると、研究分野を人類学に移し、ライプツィヒ大学で民族心理学を2年間学んだ後イギリスへの渡航を決意して、1910年にロンドン大学に入学しました。すでに着手していたオーストラリアの原住民に関する研究を深め、1913年に『オーストラリア・アボリジニの家族』という論文を発表しています。

そして翌1914年に、ニューギニア島の東にあるトロブリアンド諸島のフィールドワークに取り組み、4年間にわたって現地の人々と行動を共にし、その生活の詳細な観察を行いました。このマリノフスキーが行った調査法は「参与観察」と呼ばれる手法で、現在に至るまで文化人類学の野外調査の基本型となっています。

この調査からロンドンにもどったマリノフスキーは、調査資料をもとに、1921年『西太平洋の遠洋航海者』を著したのをきっかけに、「島民の儀礼的交換」「性をめぐる慣習」「農耕などの呪術」「法と慣習」などの著作や論文を次々に発表し、1924年からロンドン大学で人類学講座を担当すると、1927年には初代の社会人類学教授に就任しました。当時のロンドンの自宅には毎日のように学生や知人が訪問したため、妻は睡眠をとるため知人の家へ出かけるほどの人気だったといわれています。

その後、第二次世界大戦がはじまると、1938年にアメリカに移住し、イェール大学の客員教授となって、大学のある地で亡くなりました。


「5月16日にあった主なできごと」

1703年 ペロー死去…『がちょうおばさんの話』(「長靴をはいた猫」「眠れる森の美女」「赤ずきん」「シンデレラ」など名高い民話を語り直した話を収録)を著わしたフランスの童話作家ペローが亡くなりました。

1975年 女性初のエベレスト登頂…日本女子エベレスト登山隊の田部井淳子が、世界で初となる女子世界最高峰登頂に成功しました。さらに田部井は、1992年に女子世界初の7大陸最高峰登頂をなしとげています。
投稿日:2014年05月16日(金) 05:59

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)