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「桶狭間の戦い」 と今川義元

今日5月19日は、戦国時代に駿河国・遠江国(静岡県)から三河・尾張(愛知県)にまで拡大支配するものの、織田信長に敗れた戦国大名の今川義元(いまがわ よしもと)が、1560年に戦死した日です。

1519年、駿河・遠江国を支配していた今川氏親の3男として生まれ義元は、4歳で仏門に出されて臨済宗の寺に預けられましたが、1536年、兄たちの死により家督を継ぎました。当時、今川の勢力圏の北には武田氏、東に北条氏、西に松平氏(のちの徳川氏)をはさんで織田氏という群雄がおり、戦国大名となった義元は、領国をまとめ、群雄をしのいで領土を拡大しなくてはなりません。

そこで、1537年、敵対していた甲斐の武田信虎の娘を正室に迎えて武田氏と同盟を結び(のちに長男を北条氏の娘と縁組させて同盟)、老臣太原雪斎や岡部親綱ら家臣団に支えられながら、1542年に尾張国(愛知県西部)の織田信秀を破り、三河(愛知県東部)の松平広忠を従わせて、長男竹千代(後の徳川家康)を人質に迎え入れました。1548年、義元の三河進出に危機感を覚えた織田信秀が再度侵入してくると、今川軍はまたも織田軍に大勝し、東海地区をほぼ勢力下におさめました。

義元は、検地をおこない商人を保護するなど経済力を高めると、京都の貴族たちが駿府(静岡市)に来訪したことで、京都風の文化が花開きました。そのためか、これまで諸大名の誰も考えなかった京都への進出を構想するようになります。

そして1560年、2万余の大群を率いて京都をめざし、まず尾張国への侵攻を開始しました。織田信秀亡き後織田家をついだ信長のとりでをせめ落として進軍中、桶狭間北東の田楽狭間(いまの豊明市内)で休息していたところ、信長の奇襲を受け、あえなく戦死してしまったのでした。この結果、今川家は急速に衰え、戦国大名の地位からすべり落ちてしまいました。

なお義元は、父氏親の定めた分国法を33か条に、財産相続、金の貸し借りなど21条を追加した「今川仮名目録」を制定しました。これは、信玄家宝(武田家)、塵芥集(伊達家)、大内家壁書とともに家法として知られています。


「5月19日にあった主なできごと」

1645年 宮本武蔵死去…江戸時代初期の剣豪で、書画でも優れた作品を残した宮本武蔵が亡くなりました。

1725年 新井白石死去…徳川幕府6代将軍家宣(いえのぶ)に仕え、優れた文治政治を行なった儒学者の新井白石が亡くなりました。
投稿日:2014年05月19日(月) 05:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)