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「少林寺拳法」 の宗道臣

今日5月12日は、創始した「少林寺拳法」を通じ、将来をになう青少年育成をめざした教育家の宗道臣(そう どうしん)が、1980年に亡くなった日です。

1911年、現在の岡山県美作市に税関吏の子として生まれた道臣(本名・中野理男)は、幼いころに両親を亡くしたため、柔術家の祖父宗重遠の養子となり、古流柔術や剣道を学びました。1928年、日本軍の特務工作員として渡った満州で、中国武術の達人たちから秘伝を学びました。当時の中国は、義和団の乱の影響から拳法が禁止されていたことで、わずかに生き残った武術家たちは、こころよく指導をしてくれたようです。

そんな武術家のなかに、70歳をこえる少林義和門拳20代師父の文太宗がいて、道臣は弟子入りすると中国河南省にある高山少林寺に入って修行を重ね、ついに21代の伝法印可を授けられました。

終戦後の1947年に満州から帰国した道臣は、文太宗をはじめ中国の武術家たちから受けついだ技を整理し、創意工夫をこらして体系化し、突き・蹴りなどの「剛法」、抜き技・逆技・投げ技などの「柔法」、整骨などの「整法」の三法からなる「少林寺拳法」の名をつけ、香川県多度津町に道場を開きました。

当時の治安の悪い社会情勢下で、自警団的な役割をになうことになり、人数が増えるにつれて周辺地域の暴力団をしのぐ組織となっていきました。すると、武術修行を禁止していたGHQに目をつけられたことで宗教法人とし、精神修養と護身を旨とする体操の一種として禁令を回避しました。

その後現代化をはかり、金剛禅と一体化させて調和のある生き方を身につけるための原理を、組手主体の訓練によって実現させようと勝負を目的とせず、2人で交互に法形という技をかけあいながらその原理を習得していく過程を修行の中心においています。いまも武道団体としての結束力が強く、日本ばかりでなく、世界じゅうに多くの支部をもっています。

なお、オンライン映像「ユーチューブ」では、開祖宗道臣の映像ほか、たくさんの技を見ることができます。


「5月12日にあった主なできごと」

1534年 織田信長誕生…群雄割拠といわれる戦国時代を走りぬけ、全国統一を目の前にして家臣明智光秀の謀反に倒れた武将・織田信長 が生まれました。

1698年 青木昆陽誕生…江戸時代中期の儒学者・蘭学者で、日本じゅうにサツマイモを広めた功績者として有名な青木昆陽が生まれました。

1820年 ナイチンゲール誕生…「クリミヤの天使」「愛の天使」と讃えられ、近代看護学の普及に尽力したナイチンゲールが生まれました。5月12日は国際的にも「ナイチンゲール・デー」 と制定され、1991年から日本でも「看護の日」とされています。

1939年 ノモンハン事件…日本軍が実質的に支配する満州国とモンゴルの国境線にあるノモンハン付近では、両国の主張する国境線の違いから、ときおり小規模な紛争をくりかえしてきました。しかし、この日の紛争は大規模なもので、日本とモンゴル、モンゴルと軍事同盟をむすんでいるソ連軍がからんで長期戦となりました。戦闘は9月まで続き、日本軍は優秀な機械化部隊によるソ連軍の援軍に苦戦し、戦没者数を1万8000人ともいわれる敗北をきっしました。ソ連側も2万人を越える死傷者があったようで、同年9月15日に休戦協定がむすばれました。
投稿日:2014年05月12日(月) 05:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)