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「気骨ある明治人」 谷干城

今日5月13日は、西南戦争で政府軍の熊本鎮台司令官として熊本城にたてこもり、西郷軍の猛攻に耐えて勝利するなど、幕末から明治にかけて活躍した陸軍軍人・政治家の谷干城(たに たてき)が、1911年に亡くなった日です。

1837年、土佐(高知県)藩士の子として生まれた谷干城は、のちに父が土佐藩の武道師範(上士)として取り立てられたことから1859年、江戸へ出て儒学をおさめ、帰国途中に武市半平太と知り合って尊王攘夷に傾倒しました。しかし1866年に藩命で長崎や上海を視察をするうち攘夷論をすて、後藤象二郎や坂本龍馬と交わり、1867年5月中岡慎太郎の仲介によって、板垣退助らとともに京都の小松帯刀邸で、薩摩の西郷隆盛、大久保利通らと会い、討幕の密約「薩土同盟」を結び、討幕に成功しました。

1868年、新政府軍と旧幕府軍との「戊辰戦争」では、板垣退助率いる土佐藩兵の大軍監として北関東・会津戦線で活躍したことで、1871年には新政府の兵部省に入り、1873年には熊本鎮台司令官となって、佐賀の乱を鎮め、1874年には台湾出兵に参加するなど実績を残すと、1877年の西南戦争の際には52日にわたって西郷軍1万2千の攻撃から熊本城を死守して、政府軍の勝利に貢献したことで名声をあげました。

この功績により陸軍中将に昇進し、陸軍士官学校長となった谷でしたが、伝統的家族制度や旧臣の心情をかえりみない政府の官僚主義や、1881年に先の台湾出兵で戦死・病死した将兵の遺体を一部の地方官が粗末に扱った事実を政府・陸軍首脳部が放置していたことに抗議、受け入れられないと憤慨して辞任、土佐に帰省しました。

その後、学習院院長から政治家に転身し、1885年第1次伊藤内閣の初代農商務大臣に就任し、翌年欧州視察を命じられて帰国後、伊藤内閣の欧化政策、条約改正問題に反対し、情実の弊・内閣の弊・軽佻の弊・行政の弊・倹約・立憲政体の7項目からなる政府を弾劾する「国家の大要」を提出後に辞任しました。

のちに貴族院議員となって、地租増徴策に反対して農民の負担軽減を主張するなど、独自の政治運動を展開し、薩長藩閥とも板垣退助ら自由民権派とも異なる保守的中正主義、平和主義を押し通し、土佐派の重鎮として慕われる75年の生涯を終えました。


「5月13日にあった主なできごと」

1401年 日明貿易…室町幕府第3代将軍の足利義満は、明(中国)に使節を派遣し、明との貿易要請をしました。明は、遣唐使以来、長い間国交がとだえていた日本との貿易を認めるかわりに、明の沿岸を荒らしまわっていた倭寇(わこう)と呼ばれる海賊をとりしまることを要求してきました。こうして、日明貿易は1404年から1549年まで十数回行なわれました。貿易の際に、許可証である勘合符を使用するために「勘合貿易」とも呼ばれています。

1717年 マリア・テレジア誕生…ハプスブルク家の女帝として40年間君臨し、現在のオーストリアの基盤を築いたマリア・テレジアが生まれました。

1894年 松平定信死去…江戸時代中期、田沼意次一族の放漫財政を批判して「寛政の改革」とよばれる幕政改革おこなった松平定信が亡くなりました。
投稿日:2014年05月13日(火) 05:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)