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「名君」 前田綱紀

今日5月9日は、加賀前田家第5代藩主で80年近い優れた治世により、徳川光圀や池田光政と並び、江戸時代前期の名君として讃えられた前田綱紀(まえだ つなのり)が、1724年に亡くなった日です。

1643年、第4代加賀(石川県)前田家藩主前田光高の子として江戸藩邸に生まれた前田綱紀(幼名・犬千代)は、3歳の時に父の死により家督を相続すると、幕命により、隠居していた祖父の利常が後見することになりました。1658年、4代将軍徳川家綱の補佐役で声望のある保科正之(会津藩主)の10歳の娘摩須(ます)と結婚、18歳の若さで妻は亡くなりますが、その間綱紀は、正之の思想に大きな影響を受け、その後のさまざまな政策に反映させていきました。

綱紀の藩政改革は、まず農業方面から着手されました。「改作法」を作り、1村の農民はすべて同じ税率で税を納める「一村平均免」、豊作凶作によって税率を変えない「定免法」、有力な農民を十村(とむら)として農村全体を管理監督し徴税を円滑に進める「十村制」を定めました。これらは、時代によって多少の改変があるものの、明治維新で廃藩されるまで継承されています。

また民政では、飢饉の際には生活困窮者を助けるための「御救い小屋」と呼ばれる施設を設置して、後に授産施設も併置しました。この施設は2千人も収容可能で、飢餓の際にここで米を支給したばかりか、医療体制も整えています。

定評のある学問振興策は、綱紀自身が学問好きで和漢の学問に通じ、武芸から書画・能楽から割烹にいたるまで幅広く修めたこともあり、藩内に学問や文芸を奨励し、書物奉行を設け、工芸の標本や古書収集にあてたことで、のちに新井白石が「加賀藩は天下の書府」と礼賛されたほど、書庫には豊富な書籍が収蔵されていたようです。さらに、木下順庵、室鳩巣、稲生若水ら100名もの諸学諸芸の達人を招へいして学び、綱紀自らが編さんした百科事典『桑華学苑』など、122部もの著書を残しています。

1689年には第5代将軍徳川綱吉から100万石を誇る最大の大藩として、御三家に準ずる待遇を与えられてその権威を頂点にまで高め、荻生徂徠からは、「加賀侯非人小屋(御救い小屋)を設けしを以て、加賀に乞食なし。真に仁政と云ふべし」と讃えられたほか、町方から地方の統制、防火施設の整備に至るまで、他の大名たちから羨望されるほどでした。しかし、財政は元禄期以降、100万石の家格を維持するための出費が増大し、1723年5月、家督を四男の吉徳に譲って隠居後亡くなりますが、「加賀騒動」という不祥事をひきおこす要因を残してしまいました。


「5月9日にあった主なできごと」

1903年 ゴーガン死去…ゴッホやセザンヌと並び、後期印象派の代表的な画家として評価の高いフランスの画家ゴーガンが亡くなりました。

1994年 南アに初黒人大統領…アパルトヘイト(人種隔離)政策が長くすすめられてきた南アフリカ共和国に、国民全体が参加した選挙で、人種差別とたたかってきた黒人解放運動の闘士マンデラが大統領に選出されました。
投稿日:2014年05月09日(金) 05:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)