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「大坂の陣」 と真田幸村

今日5月7日は、安土桃山時代から江戸初期の豊臣方の武将で、大坂の陣で大活躍した真田幸村(さなだ ゆきむら)が、1615年に亡くなった日です。

1567年、信濃国(長野県)上田城主の真田昌幸の次男として生まれた真田幸村(信繁)は、幼少のころは真田家が越後の上杉景勝にしたがっていたため人質として上杉家におかれました。羽柴秀吉(豊臣秀吉)が台頭すると父昌幸は豊臣政権に帰属して独立した大名として自立するものの、幸村は人質として大坂に移り、のちに徳川家康の家臣本多忠勝の娘を正妻に迎えています。1590年の小田原征伐には、父と共に従軍、石田三成指揮下で手柄をたてたほか、秀吉の最初の朝鮮征伐(文禄の役・1592〜93年)では、前線基地の名護屋城(佐賀県)の警備に貢献しています。

秀吉死後の1600年、徳川家康が会津に移った上杉景勝討伐の兵を起こすとこれに従軍、石田三成ら(西軍)が挙兵して家康軍(東軍)と「関ヶ原の戦い」となると、父と共に西軍についたことで、兄信之と敵対することになりました。父と幸村は上田城にこもって、のちに2代将軍となる徳川秀忠率いる3万5千の大軍を防ぎましたが、三成らの西軍が、徳川軍の主力といえる秀忠の到着前に関ヶ原で敗北をきっしたため、幸村と父は、本来なら敗軍の将として切腹を命じられるところでしたが、兄信之と舅の本多忠勝の取りなしで、紀伊国九度山に配流を命じられるだけですみました。

ちっ居中の1611年に父が亡くなって幸村は出家するものの、1614年に豊臣秀頼が兵をあげて大坂冬の陣がはじまったことを聞くと、幸村はすぐに大坂城に入り、城の東南の隅に真田丸というとりでを築いて奮戦し、徳川連合軍を悩ませました。翌年の大坂夏の陣では、徳川軍よりはるかに少ない3500の兵で、茶臼山の本陣まで家康を追いつめましたが、力つき、この日戦死したのでした。

のちに真田幸村は、この合戦に参戦した将兵たちによる記録や証言が基になり、真田十勇士をしたがえ、宿敵・徳川家康に果敢に挑戦する英雄的武将として講談や小説などに描かれたことで有名ですが、真田十勇士はまったくの創作です。


「5月7日にあった主なできごと」

1730年 本居宣長誕生…35年かけて完成させた『古事記伝』など数多くの古代日本を探る研究書を著した、江戸時代中期の国学者・本居宣長が生れました。

1824年 第九の初演…ベートーベンの交響曲第九番(合唱付)が、この日オーストリアのウィーンで初めて演奏されました。約80人のオーケストラと100人の合唱によるもので、すでに耳がきこえなくなっていた54歳のベートーベン自身も指揮台にたって、各楽章のテンポを指示しました。熱狂した観客はアンコールをくりかえし、3度目のアンコールを警官に止められたという逸話が残っています。この曲は日本でも「第九」として親しまれ、第4楽章は「歓喜(よろこび)の歌」という名で知られています。

1840年 チャイコフスキー誕生…バレー組曲『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『眠りの森の美女』、交響曲『悲愴』、弦楽四重奏曲『アンダンテカンタービレ』などを作曲したロシアの作曲家チャイコフスキーが生まれました。
投稿日:2014年05月07日(水) 05:39

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)