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「赤狩り」 のマッカーシー

今日5月2日は、アメリカの上院議員で、1950年代前半に「マッカーシズム」といわれる共産主義者への攻撃旋風をまきおこしたマッカーシーが、1957年に亡くなった日です。

1908年、ウィスコンシン州グランド・チュウトに農場経営者の子として生まれたジョセフ・マッカーシーは、ミルウォーキーのマーケット大学で法律を学びました。1935年卒業後に弁護士の資格を取ると、法律事務所で働きながら1936年に民主党員として治安判事になるための運動に乗り出すものの成功せず、1939年に巡回裁判官に当選しました。

1942年アメリカが第二次世界大戦に参戦すると、海兵隊の大尉とし南太平洋の戦闘に参加しました。1945年4月に除隊後、再選出された巡回裁判官のかたわら、上院議員選挙のための組織的な運動を開始したことが功を奏し、1946年に共和党上院議員となりました。

当初は目だたない存在でしたが、再選挙がせまる1950年2月、「国務省には共産党党員が25名以上もいる。20年もの民主党政権で、共産主義スパイ網が形成されて、彼らが外交政策にたずさわっている」と爆弾発言すると、当時、ソ連が原爆開発に成功し、中国に共産党政権が成立したこと、いくつかのスパイ事件が摘発されたことなどで、冷戦初期の国際情勢に不安をいだいていたアメリカ市民の注目をあびました。

これ以後マッカーシーは、トルーマン政権の中国政策の失敗や朝鮮戦争の始まりを背景に、リベラル派や共産主義者の個人攻撃を開始しました。実態的な証拠のないものだったにもかかわらず、次々と指弾することで、新聞やテレビの注目をあび、共和党の一部指導者の後押しもあって、いちやく有名議員となりました。この「赤狩り旋風」により、1952年の選挙に再選されたばかりか、アイゼンハワー政権の政府内機能審査委員長になって、CIAや陸軍にまで赤狩りは広がり、アメリカ政界を不安と恐怖におとしいれ、一時その権勢は、大統領に匹敵するといわれるほどでした。

しかし1954年春、テレビ中継された陸軍議会聴聞会で、マッカーシーの政治家らへの攻撃が根拠のないものだったことがわかると、人々の非難を浴びるようになって、同年末には上院がメンバーにふさわしくない人物として譴責処分を下し、「マッカーシズム」は終えん、政治生命を絶たれました。


「5月2日にあった主なできごと」

756年 聖武天皇死去…仏教を深く信仰し、全国に国分寺を建て、奈良の大仏を造った聖武天皇が亡くなりました。

1519年 レオナルド・ダ・ビンチ死去…『モナリザ』『最後の晩餐』など絵画の名作を描いたばかりでなく、万能の天才といわれるイタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ビンチが亡くなりました。

1948年 サマー・タイムの実施…欧米の政策を採り入れて、時計を1時間早めるサマー・タイムが実施されました。しかし、日本の生活習慣に合わなかったため、4年後に廃止されました。最近になって、エネルギーの節約と時間の有効活用のために、導入すべきだという声もきかれるようになっています。
投稿日:2014年05月02日(金) 05:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)