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「ファシスト独裁」 のムッソリーニ

今日4月28日は、第40代イタリア首相で、ファシズム理論を独自に構築して20年も独裁政治を行ったムッソリーニが、1945年に銃殺された日です。

1883年、ボローニャの南東にあるプレダピオという小村に鍛冶屋でアナーキスト系社会主義者の父と小学教師の母との子として生まれたベニート・ムッソリーニは、寄宿学校で学び成績は優秀だったものの、教師に石を投げつけたり、けんかをして相手をナイフで刺すなど暴力事件を引き起こしたことで、5年のときに退学処分を受けています。その後師範学校を卒業して小学校の教師になりましたが、19歳のときに兵役をのがれるために2年間スイスへ行き、社会主義者たちと交わりを深めました。

帰国後、イタリア社会党に入ると、はげしく政府を批判する行動で何度か投獄されるものの、そのあらっぽい言動や行動が受けて、1912年の党大会では、指導部に選出され、日刊機関紙の編集長のポストにつきました。

1914年に第1次世界大戦がはじまると、党が中立の方針を決めたのにもかかわらず、参戦を主張したことで除名されると、独自の日刊紙を創刊して参戦主義の主張をくりひろげ、1915年に召集されドイツとの戦場におもむくものの2年後に負傷して帰国、ふたたびジャーナリスト活動にもどりました。

大戦後の1919年5月、ミラノに復員兵士や右翼青年ら150人と「戦闘ファッショ」を結成して同年秋の選挙に立候補するものの落選。翌年北イタリアで労働運動が激しくなると、「黒シャツ隊」を作って、社会党員や労働者を暴力で襲わせたことで、政府や資本家を喜ばせた効果もあり、1921年の選挙で下院議員となりました。さらに、「戦闘ファッショ」を「ファシスタ党」に改めて党首となると、1922年10月、4万もの党員を武装させて首都ローマに進軍させ、力ずくで政権を奪うと、以後20年間も首相の地位につき、ファシズム体制を築いて独裁的な統治を行いました。

この間、貧困にあえぐ国民の眼をそらそうと1935年、アフリカ北東部のエチオピアを侵略してこれを併合したことで国際連盟の経済制裁を受け、ヒトラー率いるドイツや日本と3国防共協定を結んで、第2次世界大戦を引き起こす情勢を作り出しました。

はじめは静観したものの、1940年にフランスがドイツに降服したのを機に参戦、敗色が濃厚になった1943年7月、王家や政・財界・軍部から批判が高まり、ファシズム評議会で動議を突きつけられると、国王に逮捕され幽閉されました。一時、ドイツ軍に助け出されますが、イタリアに上陸した連合国軍と、労働者・農民・市民の遊撃隊「パルチザン」の反撃にドイツ軍も逃げ出し、1945年4月26日にスイスへ逃亡するところを国境の小村でパルチザンにつかまり、2日後に銃殺されたのでした。


「4月28日にあった主なできごと」

1952年 日本が独立回復…第2次世界大戦でアメリカをはじめとする連合国軍に敗れた日本は、連合国軍に占領されていましたが、前年のこの日に調印された「サンフランシスコ平和条約」が発効し、6年8か月ぶりに独立を回復しました。
投稿日:2014年04月28日(月) 05:13

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)