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軍縮を実現した宇垣一成

今日4月30日は、大正末期から昭和初期にかけて陸軍の実権を握り、5次にわたる内閣の陸軍大臣をつとめた宇垣一成(うがき かずしげ)が、1956年に亡くなった日です。

1868年、いまの岡山市に農家の子として生まれた宇垣一成は、小学校を卒業後に代用教員となるものの、軍人を志して上京。1888年に陸軍士官学校に入学し、1900年には陸軍大学校を優等で卒業すると、陸軍将校としての道を歩みはじめ、1902年から2年間ドイツ留学後、1906年ドイツ駐在武官をへて、1910年に陸軍大佐となりました。

1911年に西園寺内閣のもとで陸軍省軍事課長となって田中義一軍事部長のもとで、憲政擁護運動反対に活躍したことで陸軍中央部で頭角をあらわすと、1924年に清浦内閣の陸軍大臣となりました。つづく加藤高明、若槻礼次郎両内閣でも陸軍大臣にとどまり、その間、予算の削減を要求する世論の高まりに対し、21個師団のうち4師団を廃止するなど軍備縮小をおこないました。いっぽうで削減した分の費用を飛行機、戦車、機関銃などの大規模購入に当てて軍備の近代化をおこなうとともに、軍縮で余った将校を中等学校以上に配属させ、軍事教練を実施するようにしたことで、その名声を高めました。

1929年、浜口雄幸内閣でふたたび陸軍大臣となり、1931年には陸軍青年将校が首謀者となったクーデター計画(三月事件)がもちあがりました。クーデター後の首相就任が予定されていた宇垣はこれに興味を示すもののずさんな計画を知り、合法的に政権を獲得できると判断して中止させ、事件発覚後に辞職しました。

その後宇垣は、朝鮮総督として朝鮮の農村更生に努めながら日本の政局を見守っているうち、1936年に2.26事件がおこると、自身の出番がやってきたと確信して帰国、1937年に首相になる方向が決まったにもかかわらず、その政治力を恐れる陸軍中央部の反対で内閣を作れず、以後なんども首相候補とされたものの、いずれも実現しませんでした。1938年近衛内閣の外相を短期間つとめた後公職から引退、戦後の1953年参議院選挙の全国区に最高点で当選をはたしましたが、議員としてほとんど活動できないまま、88年の生涯を閉じました。


「4月30日にあった主なできごと」

1189年 義経衣川で自害…一の谷・屋島・壇ノ浦の戦いに勝利して、平氏を滅ぼした源義経は、兄源頼朝と対立、この日奥州藤原氏当主の藤原泰衡(やすひら)の率いる500騎の兵に、衣川の館を襲われました。泰衡の父秀衡(ひでひら)は、義経をかくまうよう遺言を残していましたが、頼朝からのおどしに泰衡が屈したためで、義経はいっさい戦わず、妻子を殺害して自害しました。

1945年 ヒトラー自決…ドイツの独裁者ヒトラーは、1933年から12年間ドイツを支配しました。1939年にポーランドに侵入、ソ連に戦争をしかけたことで、第2次世界大戦を引き起こしました。当初は、連戦連勝の勢いでしたが、やがてソ連の反撃にあい、1945年4月に入ると、首都ベルリン陥落まで追いつめられ、この日、前日結婚したばかりの妻エバァとともに自殺しました。1週間後の5月7日にドイツは降伏し、ヨーロッパに平和がもどりました。
投稿日:2014年04月30日(水) 05:47

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)