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光圀に招かれた朱舜水

今日4月17日は、中国「明」の儒学者で江戸時代初期に来日し、水戸学に大きな影響を与えた朱舜水(しゅ しゅんすい)が、1682年に亡くなった日です。

1600年、浙江省の名家に生まれた朱舜水は、明末期の不安定な世情にまどわされず、朱子学を学び、仕官することなくじっくり自己を鍛えました。ところが、1644年李自成の乱により明朝が滅亡し、満州民族による清朝が成立しました。こんな動きに対し舜水は、鄭親子らが明朝再興のために活動を開始するとこの運動に参加し、日本の長崎・べトナムとの三角貿易船を組織して軍資金を得るための行動をしました。1659年には、鄭成功を主力とする最後の決戦といわれる南京攻略戦に参加しましたが、敗戦の屈辱を味わいました。

失意のうちに舜水は、無一物で長崎へ亡命すると、幸運にも翌1660年、筑後国柳川藩の儒者安東省庵があらわれ、自分の俸禄の半分をさいてくれました。そして1665年、水戸藩藩主の徳川光圀(みつくに)が舜水を招くと、古今の学問によく通じ、理に走り虚に流れる学問を嫌う舜水の人柄を高く評価して、江戸駒込の徳川別荘内に宅地を与えました。

光圀は舜水を敬愛し、水戸学へ思想的影響を与えたほか、光圀がのちに『大日本史』と命名する修史事業の編さんに参加した安積澹泊、木下道順、山鹿素行らの学者とも交友させました。没後は、光圀により遺稿の編さんが行われ、『舜水先生文集』(全28巻)としてまとめられました。その思想は日本儒学史に、「陽明学を取り入れた朱子学」として、藤原惺窩(せいか)、朱舜水、木下順庵、大塩平八郎という流れの中にとらえられています。


「4月17日にあった主なできごと」

723年 三世一身法… 聖武天皇が即位したこの年、農民の人口が増え、耕地が不足したため、田地を開墾した者には、本人・子ども・孫の代まで、その土地の所有を認める「三世一身法」を、この日に公布しました。当時は、土地の所有は認められず、班田収授制によって貸与された土地からの何割かを「租」として納める制度でした。

1616年 徳川家康死去…応仁の乱以降100年以上も続いた戦乱に終止符を打ち、織田信長、豊臣秀吉により統一された天下を、「江戸幕府」を開いてさらに磐石のものとした徳川家康が亡くなりました。

1895年 下関条約調印…1894年7月に始まった日清戦争は日本の勝利に終わりましたが、この日山口県下関市で、日清戦争の講和条約のための下関条約が調印されました。
投稿日:2014年04月17日(木) 05:45

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)