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『木乃伊の口紅』 の田村俊子

今日4月16日は、樋口一葉に続く女流作家として注目された田村俊子(たむら としこ)が、1945年に亡くなった日です。

1884年、現在の東京・蔵前にあった米穀商の子として生れた田村俊子(本名・佐藤とし)は、府立第一高女を経て、1901年に日本女子大国文科に入学しますが、まもなく作家を志して中退し、幸田露伴の門下に入りました。翌1902年に露伴から与えられた露英のペンネームで『露分衣(つゆわけごろも)』を発表するものの生き方に悩み、岡本綺堂らの文士劇に参加したことがをきっかけとなって女優の道に進みます。しかし文学へ道を捨てきれず、露伴門下の兄弟子だった田村松魚と1909年に結婚すると、松魚の勧めで書いた『あきらめ』が、1911年大阪朝日新聞懸賞小説1等になって文壇デビューをはたし、作家生活に入りました。

やがて『木乃伊(みいら)の口紅』『女作家』『炮烙(ほうらく)の刑』などの小説を次々に発表すると、自己主張する近代女性の苦悩をリアルに描く作風は、樋口一葉に続く女流作家として注目される存在となりました。

ところが才能を生かしきれず文学活動は数年で終わり、1918年に朝日新聞記者の後を追い、松魚と別れバンクーバーへ移住し、現地の邦字紙の編集にたずさわりました。1936年に18年ぶりに帰国し、作家としての活動を再開しますが、かつての筆力はなく、また佐多稲子の夫の窪川鶴次郎との情事が発覚し、その体験もとにした『山道』を発表すると、日本を離れ上海に渡って婦人雑誌『女声』を主宰しますが、大戦下の上海で波乱にみちた生涯を終えました。

没後の1961年に「田村俊子賞」が創設され、 第1回受賞した瀬戸内晴美(寂聴)の『田村俊子』から、第17回の1977年まで毎年優れた女流作家の作品に賞が贈られました。なお、オンライン図書館「青空文庫」では、代表作『木乃伊の口紅』を読むことができます。


「4月16日にあった主なできごと」

1397年 金閣寺完成…室町幕府3代将軍の足利義満は、金閣寺の上棟式を行ないました。巨額の資金を投入した3層建で、下から寝殿づくり、武家づくり、仏殿づくりとなっています。1950年に放火による火事で全焼してしまい、1955年に再建されました。1994年、古都京都の文化財として世界遺産に登録されています。

1828年 ゴヤ死去…ベラスケスと並びスペイン最大の画家のひとりであるゴヤが亡くなりました。

1889年 チャプリン誕生…『黄金狂時代』『街の灯』『モダンタイムス』『独裁者』『ライムライト』など山高帽にチョビひげ、ダボダボずぼん、ドタ靴、ステッキといういでたちで、下積みの人たちの悲しみや社会悪を批判する自作自演の映画をたくさん制作したチャップリンが生まれました。

1972年 川端康成死去…『伊豆の踊り子』 『雪国』 など、生きることの悲しさや日本の美しさを香り高い文章で書きつづり、日本人初のノーベル文学賞を贈られた作家 川端康成が亡くなりました。
投稿日:2014年04月16日(水) 05:32

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)