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ロシア漂着した大黒屋光太夫

今日4月15日は、江戸時代後期の廻船船頭で、ロシアに漂着して10年後、無事に帰国を果たした大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)が、1828年に亡くなった日です。

1751年、伊勢亀山藩(いまの三重県鈴鹿市)の船宿の子として生まれた光太夫(幼名・兵蔵)は、姉の嫁ぎ先の廻船問屋にやとわれて働くうち、1780年船頭に取り立てられて大黒屋光太夫を名乗りました。1782年12月、光太夫は船頭をつとめる神昌丸で、船員15名乗員1名とともに紀州藩の米を積み、伊勢の白子の浦から江戸へ向かって出航しました。ところが駿河沖付近で台風にあって漂流してしまい、7か月以上も北の海を漂流ののち、アリューシャン列島のアムチトカ島へ漂着しました。

光太夫らはこの島に4年も暮らすうち、先住民や毛皮収穫にやってきたロシア人たちからロシア語を習得すると、1787年にありあわせの材料で造った船に乗ってロシア人らと島を脱出することに成功、カムチャツカ、オホーツク、ヤクーツクを経て、1789年ロシア東部のイルクーツクに至りました。

この地で、日本に興味をもっていた博物学者キリル・ラクスマンに出会うと、1791年、キリルに随行して首都サンクトペテルブルクに向かい、キリルらの尽力によって女帝エカチェリーナ2世と会見し、帰国を正式に許されました。日本に漂流民を返還する目的でロシア使節アダム・ラクスマン(キリルの次男)に伴われ、光太夫と船員の磯吉と2人だけが、根室をへて10年ぶりに帰国を果たしました。(乗組員16名のうち13名死亡、2人がロシア滞在希望)

帰国後光太夫らは、11代将軍徳川家斉や老中松平定信の前で、ロシアで出合ったことを調べあげられ、その記録は桂川甫周が『漂民御覧之記』や『北槎聞略』としてまとめました。海外情勢を知る光太夫の豊富な見聞は、蘭学発展に寄与するとともに、樺太や千島列島など北方への防衛意識を強めるための重要情報を幕府にもたらします。取り調べ後、外国の事情が世間に広まらないように、しばらく番町の薬園内に軟禁されましたが、のちに光太夫は幕府の天文台につとめ、ロシア語を教えたと伝えられています。


「4月15日にあった主なできごと」

905年 古今和歌集完成…『古今和歌集』(古今集)は、日本で最初の勅撰(天皇の命令で和歌などを編集)和歌集で、醍醐天皇の命によって紀貫之ら4名によって編まれ、この日、約1100首、20巻が天皇に奏上されました。『枕草子』を著した清少納言は、古今集を暗唱することが平安中期の貴族にとって教養とみなされたと記しています。

1452年 レオナルド・ダビンチ誕生…ルネッサンス期に絵画・建築・彫刻そして自然科学にも通じていた万能の天才と讃えられるレオナルド・ダビンチが生まれました。

1865年 リンカーン死去…「奴隷解放の父」といわれるアメリカ合衆国16代大統領リンカーンが、南北戦争の終わった5日後の夜、ワシントンの劇場で南部出身の俳優にピストルで撃たれ、翌朝、56歳の生涯を閉じました。
投稿日:2014年04月15日(火) 05:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)