児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  「五山文学」 の義堂周信

「五山文学」 の義堂周信

今日4月4日は、南北朝時代に興った漢詩を中心とする「五山文学」を代表する臨済宗の学僧・義堂周信(ぎどう しゅうしん)が、1388年に亡くなった日です。

1325年、土佐国(いまの高知県高岡郡)に生まれた義堂周信(号・空華)は、8歳のときに家の蔵書にあった「臨済録」を見つけて読み、14歳のとき比叡山にのぼって剃髪し、天台宗密教を学びました。帰国後禅宗に改宗すると、17歳のとき京にのぼり、夢窓疎石の門弟となって10年、その法を受け継ぎました。1351年に夢窓が亡くなると、竜山徳見に教えを請い、建仁寺、南禅寺、天竜寺と竜山が移ったのに随いました。

1359年、幕府が関東地方の統治のために設置した鎌倉公方・足利基氏に招かれて鎌倉の円覚寺へ移ると、ついで善福寺、瑞泉寺に住み、報恩寺を開くなど1380年まで滞在し、基氏や関東管領の上杉氏などに禅宗を教え、基氏の没後に幼くして鎌倉公方となった足利氏満の教育係も務めるなど、関東における禅の指導者として信望を集めました。この間、建長寺の大覚門徒と円覚寺の仏光門徒が武器を持って衝突する事件に際し、両者の和合を説いて解決に導いたのは、義堂にしてなしとげられたといわれ、その公明正大、厳正中立な態度は多くの人たちに感銘を与えました。

1380年56歳のとき、将軍家より京都によびもどされて建仁寺の住職となり、3代将軍足利義満の禅の指導にあたりました。義満は建立した相国寺を京都五山(南禅寺・天竜寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)に加えたいと義堂にはかったところ、南禅寺を別格の五山の上とし、相国寺を天竜寺に次ぐ2位に割りこませることを進言して、これにより五山制度が確立しました。

1386年には南禅寺の住職となり、この日死期を悟って南禅寺の慈氏院に入り、端坐したまま64年の生涯を終えました。義堂は、とくに詩文に優れ、絶海中津とともに五山文学を代表する学問僧とされ、中国・明人も賞賛したという詩文集『空華集』をはじめ、40年以上も書き続けた日記を「日用工夫集」と名づけ、その抄録『空華日用工夫略集』20巻や語録4巻が遺されています。


「4月4日にあった主なできごと」

1284年 北条時宗死去…鎌倉幕府第8代執権で、はるかに国力の勝る元(中国とモンゴルを含む大帝国)の2度にわたる襲来を退けた北条時宗が亡くなりました。

1615年 大坂夏の陣…前年の大坂冬の陣で大坂城を攻め落とせなかった徳川家康は、講和を条件に外堀を埋めさせて防備が弱くなったところへ、諸大名の兵20万人を率いて攻め入り、落城させました。豊臣秀頼と生母淀君は自害し、ここに豊臣家は滅びました。

1968年 キング牧師死去…アメリカの黒人指導者キング牧師は、白人による人種差別撤廃する法律を認めさせ、黒人の権利と自由を求める公民権運動を進めたことでノーベル平和賞を受賞しましたが、これに反発した白人により、この日演説中に暗殺されました。
投稿日:2014年04月04日(金) 05:31

 <  前の記事 「新古典派画家」 小林古径  |  トップページ  |  次の記事 「自由学園」 の羽仁もと子  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/3303

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2015年01月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)