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「新古典派画家」 小林古径

今日4月3日は、『髪』『竹取物語(昇天図)』『いでゆ』など、独自の日本画を数多く描いた小林古径(こばやし こけい)が、1957年に亡くなった日です。

1883年、いまの新潟県上越市に地方官吏の子として生まれた小林古径(本名・茂)は、父の転任により、新潟や新発田などに移り住みましたが、3歳のときに母を10歳のときに父を失い、妹とともに孤児となってしまいました。画才は天性のものだったらしく、周辺の人たちに助けられて地元の画家の指導を受け、1899年に上京すると、新進気鋭の画家として活躍していた梶田半古の塾に入門して日本画を学びました。

たちまち頭角をあらわし、創設したばかりの日本美術展や日本絵画協会共進展に出品した『春霞』『敦盛』『女三の宮』などで受賞を重ね、注目をあびます。その後岡倉天心の指導を受け、安田靫彦や今村紫紅らが結成した青年画家のグループ「紅児会」に加わったことで、しだいに半古の影響から離れ、ロマン的で清澄な作風に変わっていきました。

1922年に半古門下の前田青邨と共に日本美術院の留学生としてヨーロッパに渡り、ロンドンの大英博物館で中国・東晋の名画「女史箴(しん)図」を模写し、この中国古典を研究することによって、古径は「東洋絵画の命である線描の技術を高めた」と記しています。

帰国後の古径の画風は、むだのない線と、豊かな色彩による品格のある作品が多くなり、「新古典派」とか「新古典主義」とよばれるようになりますが、とくに1931年に院展へ出品した『髪』は、古径の線描の特色をいかんなく発揮した名作といわれ、髪の毛一本一本や美しく縁取られた顔の輪郭、半裸の女性の皮膚の柔らかな感触までを描き出したものです。

その後古径は、1944年から51年まで東京美術学校教授(のちに東京芸術大)として後進の指導にあたりました。代表作には、『阿弥陀堂』『竹取物語(昇天図)』『いでゆ』『弥勒』『河風』『猫』などがあり、1950年には文化勲章を受章しています。

なお、生地の上越市には「小林古径記念美術館」があり、高田城跡には東京大田区南馬込から移築された古径邸があって、国の登録有形文化財に登録されています。



「4月3日にあった主なできごと」

604年 十七条の憲法…聖徳太子は、仏教や儒教に基づくきまりや道徳を示した「十七条の憲法」を制定しました。

1673年 隠元死去…江戸時代の初期に禅宗の流れをくむ「日本黄檗宗」を開き、インゲン豆を日本に伝えたとされる中国の僧・隠元が亡くなりました。

1682年 ムリーリョ死去…『無原罪の宿り』 など甘美な聖母像や、愛らしい子どもの絵で知られる、スペインバロック絵画の黄金期を築いた画家ムリーリョが亡くなりました。

1890年 ブラームス死去…バッハ、ベートーベンとともに、ドイツ音楽の「三大B」と讃えられる作曲家ブラームスが亡くなりました。
投稿日:2014年04月03日(木) 05:45

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)