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2017年版 12月26日はこんな日


● 今日(12月26日)の主なできごと

939年 「藤原純友の乱」始まる……伊予国(愛媛県)の役人で、日振島を根じろとする海賊の藤原純友が、この日、朝廷に対し反乱を開始した。瀬戸内の海賊であることを朝廷に報告しようとした役人を殺害したのが反乱のきっかけで、朝廷は純友に官位を与えて鎮めようとするものの失敗。その後、朝廷は鎮圧軍を何回か送り、2年後に鎮圧。「藤原純友の乱」は、ほぼ同時期に起きた、関東での「平将門の乱」とともに「承平天慶の乱」と総称されている。


● 今日の主な記念日・恒例日

プロ野球誕生の日/ジャイアンツの日……1934年のこの日、アメリカのプロ野球と対戦するため、日本初のプロ野球チーム・大日本東京野球倶楽部(読売巨人軍の前身)が正式に誕生したことにちなむ記念日。

雪印の日……1938年のこの日、物理学者の中谷宇吉郎が人工的に雪の結晶を作ることに成功したことにちなんで制定。


● 今日生まれた人

1542年 徳川家康……安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府初代将軍。

1835年 五代友厚……明治期の実業家。大阪経済界の重鎮の一人。

1843年 片岡健吉……幕末から明治期の政治家。自由民権運動家。

1862年 岡倉天心……明治期の美術評論家・美術史家・詩人・教育家。

1888年 菊池寛……明治・大正・昭和期の小説家・実業家。代表作『屋上の狂人』『父帰る』『恩讐の彼方に』など。「文芸春秋社」創業、芥川賞・直木賞創設。

1891年 ヘンリー・ミラー……アメリカの小説家。代表作『北回帰線』『南回帰線』など。

1897年 上原正吉……昭和期の実業家・政治家。「大正製薬」3代目社長。

1927年 藤沢周平……昭和・平成期の小説家。代表作『暗殺の年輪』『たそがれ清兵衛』『蝉しぐれ』など。


● 今日亡くなった人

1890年 シュリーマン……ドイツの考古学者・実業家。トロイア遺跡を発堀。

1960年 和辻哲郎……昭和期の倫理学者。代表作『古寺巡礼』『風土』など。

1972年 トルーマン……アメリカの政治家。第33代米大統領。


● 過去のマイブログ「12月26日」のテーマ

2014年  「倫理学」 を体系化した和辻哲郎
『古寺巡礼』『風土』『倫理学』など多数の書を著した哲学者の和辻哲郎(わつじ てつろう)が、1960年に亡くなった日です。1889年、今の兵庫県姫路市に医師の子に生まれた和辻哲郎は、旧制姫路中学時代から文学や芸術に関心をいだきはじめ、第一高校を経て東京帝国大学哲学科に入学後は、谷崎潤一郎らと耽美的な小説や戯曲をさかんに書きました。同大学院に進学すると本格的に哲学に取り組み……。

2013年 「原爆投下」とトルーマン
第33代アメリカ合衆国大統領で、日本へ原子爆弾を投下して第2次世界大戦を終結させ、戦後は冷戦外交をおこなったトルーマンが、1972年に亡くなった日です。1884年、ミズーリ州ラマーの農家に生まれたハリー・トルーマンは、6歳の時ミズーリ州インディペンデンスに移り住み地元の高校を卒業、カンザスシティ州の銀行や新聞社の事務をしながら夜間の法律学校へ通い、1906年に父親のあとをついで農業に……。

2012年  [おもしろ民話集 67] 大みそかのたき火
昔、ある山里の村に貧しい若夫婦と、おばあさんの3人が住んでいました。ある年のおおみそかに、おばあさんは若いお嫁さんに「明日から、新しい年になる。これからは、あんたが囲炉裏(いろり)の火を絶やさないように、気をつけておくれ。もしその火が消えれば、あんたはこの家にいられなくなるからね」と、いいました。そのころは、家の囲炉裏の火を絶やさないようにするのは、その家の主婦の大切な仕事……。

2011年 夢を掘り当てたシュリーマン
ホメロスが紀元前800年ころに書いたといわれる 「イリアス」 「オデュッセイア」 に出てくる伝説の都市トロヤが、実在することを発掘によって証明したドイツの考古学者で実業家のシュリーマンが、1890年に亡くなった日です。1822年、プロイセン(ドイツ)北部のシュべェリン近郊で、貧しい牧師の家に生まれたハインリヒ・シュリーマンは、8歳のとき父からプレゼントされた『子どものための世界史』のトロヤ落城の挿絵に魅せられ……。

2008年 芥川賞・直木賞を生んだ菊池寛
『屋上の狂人』『父帰る』『恩讐の彼方に』『真珠夫人』などを著した小説家、劇作家、ジャーナリスト、文芸春秋社を創設した実業家でもある菊池寛(きくち かん)が、1888年に生まれた日です。小説や戯曲を書くだけではなく、出版社をおこし、文学賞をつくり、おおくの文学者たちを育てて文壇の大御所とよばれるようになった菊池寛は、四国の高松で生まれました。菊池家は祖父の代までは高松藩につかえた学者の家がらでしたが、寛の父は、小学校の事務員をしていました……。

2007年 心のこもった語りかけは、100回の 「ダメ」 に勝る
母親が子どもを叱るとき、「何やってるの」 「早くしなさい」 「そんなことじゃダメでしょ」 「勉強しなきゃダメじゃないの」 などと、どなっていることが多いようです。実をいうと、この叱り方にはほとんど効果がありません。子どもは 「はーい」 と返事だけはしても、母親の言葉は頭の上を素通りさせておしまいです。そのうえ、かげで 「うちの母親はうるさい」 と、子どもにいわせることになってしまいます。母親がわが子へ言葉をかけるとき、言葉を投げかけるのではなく……。

2006年 兄弟愛のない子、物を粗末にする子
「兄弟愛の乏しい子にしたかったら」━━ 子どもへの接しかたに差をつけることです。たとえば同じことをさせたとき、一人にはほめ、もうひとりにはけなします。他人の前で「上の子はちゃんとしてるのに、この子はダメなんですよ」などと言ってあげましょう。兄弟ゲンカをして、ひとりが泣いてきたときは、けんかの原因を問いただすことはやめ、泣いてきた子だけをかばって、なぐさめます。いつも、どちらかの子のほうが悪いことに……。
投稿日:2017年12月26日(火) 05:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)