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2017年版 12月1日はこんな日


● 今日(12月1日)の主なできごと

1789年 ギロチンの採用……フランス革命のころ、死刑執行のために使われた首切り器械のギロチンは、医師のギヨタンが提案してこの日の国民議会で採用されたことで、ルイ16世やその妃マリー・アントアネットをはじめ何万人もの人が首を切られた。ギヨタンもまたギロチンで処刑されたという説は、別人の誤り。

1997年 京都議定書……「地球温暖化防止会議」が、この日から10日間京都で行なわれ、地球温暖化の原因となる温室効果ガスをだす量を、先進国が国別に目標値を定めて減らしていくことを決めた。この取り決めは「京都議定書」と呼ばれている。


● 今日の主な記念日・恒例日

映画の日……1896年11月25日、神戸で日本で初めての映画の一般公開が開始された。この会期中のきりの良い日として、映画産業団体連合会が1956年に、この日を記念日に制定。

鉄の記念日……1857年のこの日、南部藩士・大島高任が日本で初めて高炉による製鉄に成功したことから、日本鉄鋼連盟が1958年に制定。

世界エイズデー……エイズ問題への人々の意識を高めることを目的に、世界保健機関(WHO)が1988年に制定した国際デー。

その他の記念日……デジタル放送の日・いのちの日・カイロの日・冬の省エネ総点検の日・手帳の日・データセンターの日・着信メロディの日・カレー南蛮の日など。


● 今日生まれた人

1573年 沢庵……安土桃山期から江戸時代前期の臨済宗僧侶。沢庵漬けを考案したとされる。

1761年 マリー・タッソー……フランスの蝋人形作家。ロンドンに蝋人形館「マダム・タッソー館」設立。

1850年 矢野竜溪……明治期の政治家・ジャーナリスト・小説家。代表作『経国美談』『浮城物語』など。
 
1875年 松永安左エ門……明治・大正・昭和期の実業家。福博電気軌道の設立など。「電力の鬼」

1879年 荻原碌山(守衞) ……明治期の彫刻家。代表作『文覚』『北条虎吉像』『女』など。

1932年 鈴木敏文……昭和・平成期の実業家。「イトーヨーカドー」「セブン-イレブンジャパン」創設。

1933年 藤子・F・不二雄……昭和・平成期の漫画家。藤子・A・不二雄とコンビを組み、ヒット作を連発。代表作『オバケのQ太郎』『ドラえもん』『パーマン』など。


● 今日亡くなった人

1711年 浅見絅斎……江戸時代中期の儒学者・思想家。幕末期の尊王論者に大きな影響。

1977年 海音寺潮五郎……昭和期の小説家。代表作『天正女合戦』『武道伝来記』『天と地と』など。


● 過去のマイブログ「12月1日」のテーマ

2015年 「歴史小説の第一人者」 海音寺潮五郎
長編小説『平将門』『天と地と』、史伝『武将列伝』長編史伝『西郷隆盛』など、たくさんの歴史小説を著した作家の海音寺潮五郎(かいおんじ ちょうごろう)が、1977年に亡くなった日です。1901年、今の鹿児島県伊佐市に生まれた海音寺潮五郎(本名・末富東作)は、国学院大学高等師範部国漢科を卒業後、指宿中学や京都府立二中の教師を務めながら小説を書き続け……。

2014年 「志士のバイブル」 と浅見絅斎
江戸時代中期の儒学者・思想家で『靖献遺言(せいけんいごん)』を著し、幕末期の尊王論者に大きな影響を与えた浅見絅斎(あさみ けいさい)が、1712年に亡くなった日です。1652年、近江国(滋賀県)高島に医者の子として生まれた浅見絅斎(通称・重次郎)は、軍学や儒学を学び、父の後をついで高名な医者となりましたが、26歳のころ晩年の山崎闇斎に師事して儒学を深めるうち、学者となる道を選びました……。

2011年 「おもしろ古典落語」51回目 『素人(しろうと)うなぎ』
徳川幕府が終わって、明治の新しい政府ができたころのお話です。「おや、中村のお殿さまじゃございませんか、どちらへ」「おう、神田川の金か、もうわしは武士じゃないから、殿さまなんていっちゃいかん。実は、家を探しておるのじゃ」「すると、もとのお屋敷はいかがなさいました?」「屋敷のほうはそのままになっておる。世の中が変わってしまって、家じゅうの者が遊んでるわけにはいかぬから、商売でもやろうと思ってな。なれぬことをして大損してはつまらぬから、しるこ屋でも……。

2010年 ロダンに魅せられた碌山
明治時代の彫刻家で、『文覚』『北条虎吉像』『女』などを制作した荻原碌山(おぎわら ろくざん)が、1879年に生まれた日です。長野県安曇野市に生まれた碌山は、幼い頃から病弱で、読書をしたり、絵を描いたりして過ごしました。地元の小学校を卒業後、家業の農業に従事しましたが、同郷の先輩で後に新宿・中村屋の創設者となる相馬愛蔵と知り合い、人間的・思想的な共感をおぼえました……。

2009年 沢庵和尚
漬物の「たくあん漬け」を考えたといわれる禅宗の僧・沢庵和尚が、1573年に生まれた日です。但馬(たじま・兵庫県)国に生まれた沢庵の父は、戦国大名・山名家の重臣でした。しかし、山名家は羽柴(豊臣)秀吉にせめられて滅亡したため、沢庵は10歳で出家させられ、21歳のときに京都の大徳寺に入り沢庵と名乗りました。きびしい修業を重ね、権力に屈しない強さ、名声や金銭に対して無欲無心……。

2008年 大切な日常での心の通い合わせ
病院の待合室で、子どもに本を読み聞かせる母親と、耳をかたむける子ども。この母と子の姿には、2つの型があります。子どもが、待合室に備えつけの本の中から1冊をぬいてきて「これを読んで」という。すると母親は「これ、この前読んであげたでしょ」と答え、子どもは、他の1冊を持ってくる。ところが、さあ読み始めた母親にはまったく真剣さがない。字面を棒読みするだけ……。
 
2006年 「ゴーリキー」 のこども時代
ゴーリキーの書いた、もっとも有名な作品は『どん底』ですが、少年時代のゴーリキーの生活は、ほんとうに、どん底でした。ゴーリキーが4歳のときに家具職人だった父が亡くなると、母の実家へひきとられ、それから7年間、まるで動物のようにあつかわれて、毎日なぐられる暗い日がつづきました。そして11歳のときに母が亡くなると、小学校もわずか1年でやめさせられ、たった一人、世の中へほうりだされてしまいました。寝るところもお金もなく……。

2005年 J・ライフのこと
1983年の年末頃のことだったろうか、ある雑誌を読んでいたところ、J・ライフという会社が「マルチ訪問販売」という手法で、羽毛ふとんを中心に大躍進しているという。同年2月期に400億円を売り上げ、1984年には1000億を越えそうな勢いという。私はこの記事に釘づけになった。というのも、その社長が何と、あの倒産したJ・チェーン社長のY氏なのだ。私と同年齢ながら、1000店を越えるJ・チェーンを短期間にこしらえあげたが……。
投稿日:2017年12月01日(金) 05:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)