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2017年版 11月21日はこんな日


● 今日(11月21日)の主なできごと

1783年 気球による初の有人飛行……フランスのパリでこの日、モンゴルフィエ兄弟が発明した気球による初の有人飛行に成功した。この年の9月、動物を乗せた実験に成功していたが、この日は、ロジェとダルランドという2名を熱気球に乗せ、25分間の飛行に成功したもの。


● 今日の主な記念日・恒例日

インターネット記念日……1969年のこの日、インターネットの元型であるアーパネットの公開実験が、カルフォルニア大学ロサンゼルス校・スタンフォード研究所・カルフォルニア大学サンタバーバラ校・ユタ大学の4か所を結んで開始されたことにちなんだ記念日。

世界テレビデー……1996年のこの日、国連で「第1回世界テレビ・フォーラム」が開催されたことを記念して、国連総会で制定した国際デー。

その他の記念日……歌舞伎座開業記念日・早慶戦の日・フライドチキンの日・かきフライの日など。


● 今日生まれた人

1694年 ボルテール……フランスの哲学者・劇作家・歴史家。ディドロやダランベールらとともに百科全書派の啓蒙学者。

1898年 ルネ・マグリット……ベルギーの画家。代表作『迷える騎手』。「イメージの魔術師」

1911年 三原脩……昭和期のプロ野球選手・監督。巨人・西鉄・大洋・近鉄・ヤクルト監督を歴任し、数々の名勝負を演出した知将。


● 今日亡くなった人

1481年 一休宗純……室町時代の臨済宗僧侶。

1579年 グレシャム……イギリスの財政家・貿易家。「悪貨は良貨を駆逐する」という「グレシャムの法則」で知られる。

1852年 銭屋五兵衛(3代目)……江戸時代後期の海運業者。

1956年 会津八一……大正・昭和期の歌人・書道家・日本美術史家。

1969年 石田波郷……昭和期の俳人。

2011年 立川談志 (7代目)……昭和・平成期の落語家。日本テレビ系「笑点」を企画・立案・初代司会者。『現代落語論』他を著す理論家。


● 過去のマイブログ「11月21日」のテーマ

2014年  「海外貿易の先駆者」 銭屋五兵衛
江戸時代後期に、加賀国(石川県)の海運業者で巨万の富をえた銭屋五兵衛(ぜにや ごへえ)三代目が、1852年に亡くなった日です。1774年、いまの金沢に生まれた五兵衛(幼名・茂助)は、祖先が両替商を営んでいたために「銭屋」とよばれ、1789年に家督をついだことで三代目銭屋五兵衛となりました。両替商をはじめ醤油製造業、呉服・古着商をてがけ、1811年には加賀藩の認可を受けて海運業にも乗り出し、北前船(きたまえぶね)という廻船の繁栄とともに全国34か所に支店をもうけ……。

2013年  1日はなぜ24時間なの?
「おもしろ科学質問箱 33」 1日というのは、地球が西から東に自転して1回まわる一定の時間のことです。1日が24時間なのは、そのようにすると便利なので、24時間に決めたためです。科学者は、遠い星を使って1日を正確にはかることができます。観測所には、恒星時計というのがあり、1日(1恒星日)は、決めた星が子午線(しごせん=地球の赤道に直角に交差するように北極と南極を結ぶ線)を越える瞬間から、同じ子午線をふたたび越える瞬間までをいいます。その時間は、23時間56分4.09秒……。

2012年 「人間探求俳句」 の石田波郷
水原秋桜子門下を代表する俳人として、闘病俳句の絶唱『惜命』など著わした石田波郷(いしだ はきょう)が、1969年に亡くなった日です。1913年、正岡子規や高浜虚子を生んだ近代俳句発祥の地、愛媛県垣生村(現・松山市)に生まれた石田波郷(本名・哲大[てつお])は、小学生の頃から友人と俳句を作って遊んでいましたが、1930年旧制松山中学卒業後は、農業を手伝いながら……。
 
2011年  啓蒙思想家・ボルテール
ルソーと並び、フランス啓蒙主義を代表する思想家で文学者のボルテールが、1694年に生まれた日です。パリの裕福な公証人の子として生まれたボルテール(本名フランソワ・マリー・アルーエ)は、10歳の時からイエズス会の学校に7年間学びますが、この時すでに詩才を発揮して、文学に熱中しました。いっぽう、自由主義貴族の集まるサロンに出入りして……。

2008年  奇行の名僧・一休
形式化した禅宗と僧侶たちを厳しく批判し、世間的な常識に真っ向から対立する奇行と人間味あふれる狂詩で世を風刺した室町時代の名僧・一休が、1481年に亡くなった日です。一休が、仲間の小僧たちと寺の掃除をしていますと、近所に住むおかみさんがやってきて「ボタ餅をつくったから食べておくれ」といいます。みんなは喜んで、餅にかぶりついたら、ガリガリ、ガリガリ。よくよく見たら、餅ではなくて、丸い石ころでした。「やーい、おいらのボタ餅はうまかったか? ……。

2007年  聞き上手が、素直に話す子どもを育てる
家に帰ってきた子どもが 「今日ね、○○ちゃんと遊んでたら、転んで、ここのところ、少しけがしたの。それでね……」 と言い出すと、「あら、どこけがしたの。見せてごらん。一体、何してたの。また、あわてて走って転んだんでしょう。いつも言ってるでしょ、あわてちゃいけないって、あわてるから、こんなことになるのよ」 などと、子どもが一言いえば、その何倍もの言葉を返してしまう母親……。

2006年 「芥川龍之介」 のこども時代
龍之介が小学校3年生のときのことです。このとき、中国大陸で北清事変が起こっていましたが、龍之介はときどき、両国広小路の絵草子屋へ戦争の絵を買いに行きました。ところが、その戦争の絵の中で死んでいるのが中国人 (義和団) ばかりだということに気づいた龍之介は、こんなはずはない、日本兵も1人くらいは死んでいるはずだ、と思いました。真実を見きわめようとする力が、もう、そなわっていたのです……。
 
2005年  重要さを増す母親の役割
拠点長会の席上で語った内容の第2回目。これまでのオリジナルラインナップ「いずみ文庫」4シリーズは、どちらかといえば本格的に活用するためには、生後2〜3歳になるまで待たねばならなかったのに対し、「みんなのおんがくかい」は、 子どもの誕生と同時に活用できる商品であるという点を強調したいと思います。昔から、胎教ということがいわれてきました。妊婦が精神的な安定や修養につとめ、お腹にいる胎児によい影響を与えることの大切さを……。
投稿日:2017年11月21日(火) 05:58

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)