児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  2017年版 こんな日 >  2017年版 11月17日はこんな日

2017年版 11月17日はこんな日


● 今日(11月17日)の主なできごと

1869年 スエズ運河開通……フランスの建設者レセップスは、さまざまな苦難の末に、地中海と紅海を結びインド洋へとつながる海の交通の要・スエズ運河を10年がかりで建設し、開通させた。政治的・軍事的重要性のために各国の争奪戦となり、当初フランスを中心に管理していた同運河は、1875年からイギリスが支配し、1956年にエジプトが国有化した。

1922年 アインシュタイン来日……相対性理論で名高いドイツの物理学者アインシュタインが来日し、約1か月間の滞在中、東京、大阪、仙台、福岡などで講演を行った。ノーベル賞を受賞したばかりの時で、会場はどこも学者や学生を中心に満席だったと伝えられている。

1990年 雲仙仙普賢岳で噴火……この日、長崎県・雲仙普賢岳の山頂部で水蒸気爆発がおこり、約200年ぶりの噴火が始った。その後1995年まで溶岩が吹き出し、巨大な溶岩ドームを形成。火砕流が多発し、820戸が焼失、44名が死傷した。長崎県で最も高い平成新山が出来たのもこの噴火によるもの。


● 今日の主な記念日・恒例日

将棋の日……将棋好きの江戸幕府8代将軍徳川吉宗が、この日を「お城将棋の日」とし、年に1回の御前対局を行っていたことにちなみ、日本将棋連盟が1975年に制定。

ドラフト記念日……1965年のこの日、第1回プロ野球新人選択会議(ドラフト会議)が開かれたことにちなむ記念日。

蓮根の日……1994年のこの日、茨城県土浦市で全国の蓮根産地が集まって開催された「蓮根サミット」を記念して制定。


● 今日生まれた人

1904年 イサム・ノグチ……日系アメリカの彫刻家・画家・インテリアデザイナー・造園家・作庭家・舞台芸術家。

1906年 本田宗一郎……昭和期の実業家・技術者。本田技研工業創業。

1934年 井上ひさし……昭和・平成期の小説家・劇作家。代表作『ひょっこりひょうたん島』『手鎖心中』『吉里吉里人』など。


● 今日亡くなった人

1558年 メアリー1世……イギリスの国王(チューダー朝4代)。「血のメアリー」

1858年 オウエン……イギリスの社会改革家。「協同組合」創始者。

1867年 中岡慎太郎……幕末の尊攘派志士。「陸援隊」隊長。

1917年 ロダン……フランスの彫刻家。代表作『考える人』『カレーの市民モニュメント』『バルザック記念像』『青銅時代』など。「近代彫刻の父」

1952年 弘田龍太郎……昭和期の作曲家。代表作『浜千鳥』『雀の学校』など。

1973年 浜田広介……大正・昭和期の児童文学作家。代表作『泣いた赤鬼』『椋鳥の夢』『竜の目の涙』など。


● 過去のマイブログ「11月17日」のテーマ

2015年 「薩長同盟の立役者」 中岡慎太郎
幕末期に、同郷土佐の坂本龍馬とともに、「薩長同盟」「薩土盟約」の締結に成功するものの、大政奉還の1か月後、龍馬とともに斬られた中岡慎太郎(なかおか しんたろう)が、1867年に亡くなった日です。1838年、今の高知県北川村に大庄屋(おおじょうや=村役人)の長男として生まれた中岡慎太郎(本名・道正 通称・福太郎)は、1854年に間崎滄浪に学問を学び、翌年には武市瑞山(半平太)の道場に入門して剣術の指南を受け、1857年より大庄屋見習として村政にかかわりました……。

2014年 「血まみれ」 のメアリー1世
イングランドとアイルランドの女王で、300人もの新教徒を処刑したメアリー1世が、1558年に亡くなった日です。1516年、ヘンリー8世と最初の王妃キャサリンの娘としてグリニッジ宮殿で生まれたメアリーでしたが、1531年に母が父に離縁されたために冷たく扱われ、熱心なカトリック信者になりました。1537年にヘンリー8世の後をついだ異母弟のエドワード6世が新教(国教会)寄りの政策をすすめても、国教会への恭順を拒んで、迫害を受け続けました。1553年、エドワードの死去によりメアリー1世として……。

2011年 「ホンダ」 の本田宗一郎
本田技研工業(通称・ホンダ)を創業し、世界的な企業にした実業家・技術者の本田宗一郎(ほんだ そういちろう)が、1906年に生まれた日です。現在の浜松市に鍛冶屋の長男として生まれた宗一郎は、15歳で高等小学校を卒業すると、東京・湯島の自動車修理工場「アート商会」へ丁稚奉公に入りました。最初は子守りと掃除ばかりでしたが、毎日自動車をながめ、兄弟子たちの仕事を必死に観察、1年後にスパナを握らせてもらえるようになると、朝早くから夜遅くまで無我夢中になって……。

2010年 「ユートピア社会主義」 のオウエン
「人間は環境によって変えられる」と主張したイギリスの社会改革家オウエンが、1858年に亡くなった日です。18世紀から19世紀にかけてイギリスを中心におこった産業革命は、人びとを資本家と労働者という2つの群れに分けることになりました。労働者を使う資本家は、満ち足りた生活を楽しむのに対し、労働者は1日に15時間もの労働にたえ、苦しい生活を余儀なくされていたのです。オウエンは、そんなみじめな生活をする労働者の味方になり……。

2009年  [おもしろ民話集 58] ものを食わない女
むかしあるところに、とてもけちな男がいました。いつまでたっても、嫁さんをもらわないので、知り合いたちは心配して「いいかげんに、嫁をもらったらどうだ」といいました。すると男は、「もらってもいいが、ものを食わない女がいたら世話をしてくれ」といいました。みんなはあきれて、もうだれも、嫁の話はしなくなりました。ある日のこと……。

2008年  心を溶けあわせた時間を楽しむ
ある公立図書館司書のお話です。その図書館では、週に2回、午後3時半から絵本の読み聞かせを行なっていますが、いつも10〜15人ほど集まる子どものなかで、一人の女の子が目をひくようになりました。千香ちゃんという5歳の子です。読み聞かせが終わると、子どもたちは、すぐに立ち上がって散っていきます。ところが、千香ちゃんだけは立ちません。きまって、2、3分は、ぽつんとすわっています……。

2006年 「吉田松陰」 のこども時代
長州藩 (長門国・今の山口県の一部) の身分の低い杉家の次男として生れた松陰は、4歳のとき、おじの吉田家の仮養子となり、翌年、そのおじが死んだため正式に吉田家を継ぎました。吉田家は、藩の学校明倫館で山鹿流の兵学を教える家柄でした。吉田家を継いだものの、おじがいないため松陰は杉家で暮し、神を敬い先祖を尊び、働くことと学ぶことを愛するという父の教えを受けながら育ちました。また、政治や人の道を教える儒学も学び、人間の正しい生き方を考える少年へと……。

2005年  全国拠点長会の席上で
「みんなのおんがくかい」が完成した1983年当時、当社の販売組織は、依然としてフランチャイズシステムによる支社や営業所を全国に設置し、そこから個々の家庭へ訪問販売する手法を中心に展開していた。当時、いずみ書房が拠点をおいていた都市は、北から盛岡、秋田、仙台、福島、宇都宮、前橋、浦和、三鷹、八王子、千葉、木更津、川崎、横浜、新潟、長野、上田、松本、飯田、諏訪、静岡、大阪、宇部の各市で……。
投稿日:2017年11月17日(金) 05:31

 <  前の記事 2017年版 11月16日はこんな日  |  トップページ  |  次の記事 2017年版 11月18日はこんな日  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/4318

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2017年11月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)