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2017年版 12月2日はこんな日


● 今日(12月2日)の主なできごと

1804年 ナポレオンが皇帝に即位……この日、ナポレオン・ボナパルトがフランス皇帝になる戴冠式が、パリのノートルダム大聖堂で行われた。ナポレオンは、フランス革命で革命派の将校として活躍後に、北イタリア遠征司令官となって成功をおさめ、1799年にクーデターをおこして実権をにぎり、「ナポレオン法典」を定めていた。皇帝に即位後は、各国を征服してヨーロッパの強大な支配者になっていく。

1970年 歩行者天国……東京の銀座・新宿・渋谷などで、歩行者天国が実施され、ふだんの日曜日の2.4倍もの人びとがくりだした。この日の一酸化炭素濃度が、ふだんの日の5分の1になったことから、車の排気ガス汚染を食い止め、汚染のない環境をとりもどそうと、全国各地に広まるきっかけとなった。


● 今日の主な記念日・恒例日

日本人宇宙飛行記念日……1990年のこの日、TBSの秋山豊寛記者を乗せたソ連のソユーズTM11号が打ち上げられ、日本人初の宇宙飛行に成功したことにちなむ記念日。

原子炉の日……1942年のこの日、アメリカ・シカゴ大学の実験用小型原子炉で、イタリアから亡命した物理学者フェルミの指導により、原爆のもととなるウランの核分裂の持続的な連鎖反応に成功したのにちなんで制定。


● 今日生まれた人

1859年 スーラ……フランスの画家。「点描技法」が有名。代表作『アニエールの水浴』『グランド・ジャット島の日曜日の午後』『サーカス』など。

1923年 マリア・カラス……ギリシャ出身アメリカのオペラ歌手。「20世紀最高のソプラノ歌手」


● 今日亡くなった人

1547年 コルテス……スペインの探検家。「メキシコ」征服者。

1594年 メルカトル……オランダの地理学者。「メルカトル図法」考案。

1814年 マルキ・ド・サド……フランスの小説家。代表作『悪徳の栄え』など。「サディズム(サド)」の由来。

1894年 ロエスレル……ドイツの法学者・経済学者。

1918年 ロスタン……フランスの劇作家。代表作『シラノ・ド・べルジュラック』など。

1944年 沢村栄治……昭和期のプロ野球選手。3度ノーヒットノーラン達成。

1945年 岩崎小弥太……大正・昭和期の実業家。

1963年 佐佐木信綱……明治・大正・昭和期の歌人・国文学者。

1964年 ドッジ……アメリカの銀行家・財政金融専門家。戦後日本の経済政策「ドッジ・ライン」を立案・勧告。

1990年 浜口庫之助……昭和・平成期の作曲家。代表作『バラが咲いた』『夜霧よ今夜も有難う』『人生いろいろ』など。

2007年  多田道太郎……昭和・平成期のフランス文学者・文芸評論家。1924年の誕生日と同日。

2009年 平山郁夫……昭和・平成期の日本画家。


● 過去のマイブログ「12月2日」のテーマ

2015年 「三菱財閥」 と岩崎小弥太
三菱合資会社の4代目社長に就任し、日本最大の重工業企業集団に成長させた岩崎小弥太(いわさき こやた)が、1945年に亡くなった日です。1879年、三菱合資会社の創始者岩崎弥太郎の弟で2代目岩崎弥之助と、後藤象二郎の長女早苗を母に、その長男として東京に生まれた岩崎小弥太は、旧一高を経て東京帝国大学法科大に入学するものの中退して渡英、1902年にケンブリッジ大学へ入学し、1905年同大学を卒業して翌年帰国すると、三菱合資会社の副社長となりました……。

2014年 「シルクロード画家」 平山郁夫
仏教伝来の道や東西文化の交流、シルクロードをテーマに悠久の歴史をたたえた画風で知られる日本画家の重鎮平山郁夫(ひらやま いくお)が、2009年に亡くなった日です。1930年、広島県(今の尾道市)瀬戸田に生まれた平山郁夫は、旧制修道中の生徒だった1945年8月6日、学徒動員先の広島市内で被爆し、九死に一生を得ました。彫金家の大伯父に勧められ、東京美術学校(現東京芸術大)に入学し、前田青邨らの指導を受けて……。

2013年 「大日本帝国憲法」 とロエスレル
明治日本のお雇い外国人の一人として、「大日本帝国憲法」の制定に大きな役割をはたしたドイツの法学者・経済学者のロエスレルが、1894年亡くなった日です。1834年、ドイツ・バイエルン地方のラウルに、弁護士の子として生まれたカール・フリードリヒ・ヘアマン・ロエスレルは、エルランゲン大学やチューリッヒ大学で法学や国家学を学んだ後、ロストック大学の教師となると、1861年に27歳の若さで同大学の国家学教授となりました。1878年に訪日するまでその地位にあって……。

2011年 『シラノ・ド・ベルジュラック』 のロスタン
フランスの韻文の劇作家で『シラノ・ド・ベルジュラック』の作者として知られるロスタンが、1918年に亡くなった日です。1864年にマルセイユの豊かな商人の家に生まれたエドモン・ロスタンは、パリ大学に学び、弁護士や外交官など、将来どんな道に進むか迷ったようです。やがて、ド・リールやルナールらの文人と交わるうちに、詩劇作家を志すようになりました。1894年、恋の幻滅と再生を描いた韻文喜劇『ロマネスク』が上演されると……。

2010年 点描画のスーラ
新印象派に分類される19世紀のフランスの画家スーラが、1859年に生まれた日です。パリの裕福な家庭に生まれたジョルジュ・スーラは、中学を卒業後2年ほど私立のデッサン学校に学んだ後、官立の美術学校に入りました。アングルの弟子アンリ・レーマンの教室に入り、古典的な名作を熱心に模写したり、伝統的な素描や構図法を学びました。いっぽう、色彩理論、視覚混合の原理、色彩配合に関する研究を続けました……。

2009年 モンロー宣言
アメリカ合衆国(アメリカ)の第5代大統領ジェームズ・モンローが、1823年の議会で、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱した日です。この提唱は「モンロー宣言」とよばれ、アメリカ外交の基本方針となりました。1800年代がはじまったころ、フランスのナポレオンがヨーロッパじゅうに勢力を伸ばしましたが失脚し、1814年に各国の代表がウィーンに集まって「ウィーン会議」を開きました。オーストリアの首相メッテルニヒが中心となって、何もかもナポレオン以前の姿に……。

2008年 アステカ・インカ文明を滅ぼした人たち
メキシコに高い文明を誇ったアステカ帝国を滅ぼしたコルテスが、1547年に亡くなった日です。南アメリカ大陸に栄えていたインカ帝国を滅ぼしたピサロとともに、不遇な人生だったようです。1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して、27年ののち、見知らぬ土地の征服を夢見た34歳のエルナン・コルテスが、この新大陸へ渡りました。コルテスは、1485年スペインに生まれ、大学を卒業すると探検にあこがれて大西洋を越え、カリブ海に浮かぶスペイン領のキューバ島へやってきました……。

2005年 示談の成立
間もなく裁判所から、公判の案内があった。この件に関しては、当時の樫村社長にすべて担当してもらった。争いごとに関しては、あまり情実にとらわれず、冷静沈着であるべきと考えたためである。第1回目の公判にJ・ライフのY社長は弁護士を伴って出廷し、手形に個人保証をした覚えがないこと、J・チェーンの経理担当がY社長に無断で印鑑を押したと主張したという。裁判は長期戦となり、第2回目以降Y社長は出廷することはなく、代理人が最初の主張を繰り返すのみだった……。
投稿日:2017年12月02日(土) 05:13

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)