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2017年版 12月3日はこんな日


● 今日(12月3日)の主なできごと

1872年 太陽暦の実施…この日旧暦(陰暦)から新暦(太陽暦)に変わり、旧暦明治5年12月3日が、新暦明治6年1月1日となった。日本では、7紀末以来1200年以上も陰暦が使われてきたが、幕末から欧米諸国との交渉が始まると、太陽暦と1か月前後の差が不便になり、国際的に広く使われているグレゴリオ暦の採用が急がれていた。


● 今日の主な記念日・恒例日

カレンダーの日……この日、太陽暦の採用により、旧暦明治5年12月3日が新暦明治6年1月1日となったことにちなみ、全国団扇扇子カレンダー協議会が1987年に制定。

奇術の日……奇術(手品)につきもののかけ声「ワン(1)ツー(2)スリー(3)」にちなみ、日本奇術協会が1990年に制定。

その他の記念日……妻の日・プレママの日・プレイステーションの日・自動車電話の日・個人タクシーの日・みかんの日など。


● 今日生まれた人

1568年 黒田長政……安土桃山期から江戸時代前期の武将。初代福岡藩主。黒田孝高(官兵衛・如水)の嫡男。

1859年 片山潜……社会主義評論家。国際共産主義運動指導者。日本初の労働組合「職工義勇会」設立。

1864年 津田梅子……明治・大正期の教育者。「女子英学塾」(今の津田塾大学)設立。

1870年 宮崎滔天……明治・大正期の大陸浪人・浪曲師。孫文ら「辛亥革命」を支援。

1879年 永井荷風……明治・大正・昭和期の小説家・随筆家。代表作『あめりか物語』『ふらんす物語』『濹東綺譚』『断腸亭日乗』など。

1882年 種田山頭火……大正・昭和期の俳人。「分け入つても分け入つても青い山」など、自由律俳句の代表。

1899年 池田勇人……昭和期の政治家。第58〜60代首相。通産相・蔵相歴任。「国民所得倍増計画」実施し、「高度経済成長政策」推進。

1906年 火野葦平……大正・昭和期の小説家。代表作『糞尿譚』『麦と兵隊』『花と竜』など。

1925年 金大中(キム・デジュン)……韓国の政治家。第15代大統領。


● 今日亡くなった人

671年 天智天皇(中大兄皇子)……第38代天皇。「大化の改新」を断行。律令体制成立期の政治を指導。

1552年 ザビエル……ナバラ王国(スペイン)のイエズス会宣教師。日本へキリスト教を伝えた。

1876年 前原一誠……幕末の長州藩士・政治家。「萩の乱」の首謀者として処刑。

1894年 スティーブンソン……イギリスの作家。代表作『宝島』『ジキル博士とハイド氏』『誘惑されて』など。

1919年 ルノワール……フランスの画家。代表作『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』『舟遊びの人々の昼食』『シャルパンティエ夫人と子どもたち』など。

1938年 高田早苗……明治・大正・昭和期の政治家・政治学者・教育者・文芸批評家。早稲田大学初代学長。

1975年 鹿島守之助……昭和期の実業家・政治家。鹿島建設「中興の祖」。


● 過去のマイブログ「12月3日」のテーマ

2015年 「早大初代学長」 高田早苗
東京専門学校→早稲田大学の草創期に、発展の礎を築いた学者・政治家の高田早苗(たかた さなえ)が、1938年に亡くなった日です。1860年、今の東京深川に生まれた高田早苗は、東京英語学校などで英語を学び、大学予備門を経て、1882年東京大学哲学政治学及理財学科を卒業しました。在学中に法学者の小野梓と知り合ったのがきっかけで、大隈重信を盟主とする……。

2014年 「萩の乱」 と前原一誠
倒幕運動の志士として活躍するものの、不平士族たちを率いて「萩の乱」を引き起こして敗れた前原一誠(まえばら いっせい)が、1876年に処刑された日です。1834年、長門国土原(いまの山口県萩市)に長州藩士の子として生まれた前原一誠は、はじめは佐世八十郎といい、陶器製造や農漁業に従事しました。1857年、久坂玄瑞や高杉晋作らと共に吉田松陰の松下村塾に……。

2013年 「所得倍増計画」 の池田勇人
戦前から戦後にかけて大蔵官僚として大蔵次官までのぼりつめ、その後は政治家として大蔵大臣、通産大臣などをへて、第58・59・60代首相をつとめた池田勇人(いけだ はやと)が、1899年に生まれた日です。現在の広島・竹原市の旧家の子として生まれた池田勇人は、旧制五高をへて、1925年に京都帝国大法学部を卒業し、大蔵省へ入りました。函館税務署長……。

2012年 「女子教育の先駆者」 津田梅子
「女子英学塾」(現・津田塾大学)を設立するなど、生涯にわたり女子教育にたずさわった津田梅子(つだ うめこ)が、1864年に生れた日です。西洋農学者で元幕臣津田仙の子として、江戸牛込に生まれた梅子は、西洋野菜の栽培などを手がける父の影響を受けながら育ちました。父は1871年、まだ満6歳だった梅子を、開拓使次官だった黒田清隆が企画した開拓使女子留学生……。

2010年  東京の下町を描いた永井荷風
『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』『断腸亭日乗』などの作品を遺し、泉鏡花、谷崎潤一郎らと耽美派文学のリーダーとして一時代を築いた永井荷風(ながい かふう)が、1879年に生まれた日です。耽美派とは、島崎藤村 や田山花袋らの写実的な自然派に対し、空想の働きを重視し、感覚的に美しい作品をめざす文学です。東京・小石川の上流家庭に生まれた荷風は……。
 
2009年  天草四郎らの籠城
島原・天草地方のキリシタンの農民たち37000人が、藩主の厳しい年貢の取立てとキリシタンへの弾圧を強めたことから、1637年に少年天草四郎を大将に、島原半島の原城に籠城した日です。江戸幕府が開かれて34年めの1637年、島原半島(長崎)と天草(熊本県)の農民が、キリスト教信者といっしょに反乱を起こしました。 約5か月、はげしい戦いがつづいた「島原の乱」……。

2008年 「宝島」 のスチーブンソン
冒険小説「宝島」によって名をなし、「ジキル博士とハイド氏」「誘惑されて」など独自の文学を開いた作家スチーブンソンが、1894年に亡くなった日です。ロバート・ルイス・スチーブンソンは、1850年イギリスのスコットランドのエディンバラに生まれました。父は有名な灯台を建設する技師でした。父親の勧めで、スチーブンソンもエディンバラ大学の土木工学科に入学……。

2007年 日本にキリスト教を伝えたザビエル
カトリックのイエズス会士で、日本に初めてキリスト教を伝えたザビエルが、1552年に亡くなった日です。前回のブログ「マラッカひとり旅」で触れましたが、マラッカにいた日本人のヤジロウは、スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルの弟子になり、やがて、信仰の喜びを日本人にも伝えたいと思うようになりました。そして、ヤジロウが案内役になって……。
投稿日:2017年12月03日(日) 05:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)