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2017年版 12月4日はこんな日


● 今日(12月4日)の主なできごと

1722年 小石川養生所設立……江戸幕府は、貧しい病人のための無料の医療施設として、東京・文京区にある小石川植物園内に小石川養生所を設立した。第8代将軍徳川吉宗と江戸町奉行の大岡忠相が主導した「享保の改革」における下層民対策のひとつで、町医者の小川笙船が、将軍への訴えを目的に設置された「目安箱」に投書したのがきっかけだった。幕末まで140年あまりも、江戸の貧民救済施設として機能した。この診療所の様子は、山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』や、この原作をもとに黒沢明が映画化した『赤ひげ』で知られている。

1890年 血清療法……ドイツの細菌学者コッホのもとへ留学していた北里柴三郎は、破傷風とジフテリアの免疫血清療法を発見したことを発表。


● 今日の主な記念日・恒例日

E.T.の日……1982年のこの日、映画『E.T.』が日本で公開されたことにちなみ制定された記念日。観客は1000万人を突破し、1997年に『もののけ姫』に抜かれるまで最高の配給収入を記録していた。E.T.とは Extra-Terrestrial の略で「地球外生物」のこと。


● 今日生まれた人

1743年 唐衣橘洲……江戸時代中・後期の狂歌師。大田南畝・朱楽菅江とともに「天明三大家」の一人。

1795年 カーライル……イギリスの歴史家・思想家。代表著作『英雄崇拝論』『衣装哲学』『過去と現在』など。

1866年 カンディンスキー……ドイツ・フランスの画家・美術理論家。「抽象絵画」の創始者。代表作『コンポジション』シリーズ、『即興 渓谷』『抽象芸術論』など。

1875年 リルケ……オーストリアの詩人・小説家。代表作『形象詩集』『新詩集』『マルテの手記』『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』など。

1892年 フランコ……スペインの軍人・政治家。40年間にわたる独裁政治。


● 今日亡くなった人

1027年 藤原道長……平安時代中期の貴族。「摂関政治」を独占し、『御堂関白記』を遺す。藤原氏の全盛期を築きあげる。

1798年 ガルバーニ……イタリアの医師・物理学者。「生体電気」の端緒となる研究。

1918年 カール・ブッセ……ドイツの詩人・作家。上田敏の訳詩集『海潮音』に収録された「山のあなた」で有名。

1942年 中島敦……昭和期の小説家。代表作『山月記』『光と風と夢』『李陵』など。

1945年 モーガン……アメリカの遺伝学者。「遺伝の染色体説」を確立。

1961年 津田左右吉……明治・大正・昭和期の歴史学者・思想史家。『日本書紀』『古事記』の古代神話は史実でないと大胆批判。

1976年 ブリテン……イギリスの作曲家。代表作『ピーター・グライムズ』『青少年のための管弦楽入門』『戦争レクイエム』など。


● 過去のマイブログ「12月4日」のテーマ

2015年 「電気生理学の創始者」 ガルバーニ
電気火花を当てるとカエルの筋肉がけいれんすることを発見し、生体電気研究のきっかけをつくったイタリアの医師で物理学者のガルバーニが、1798年に亡くなった日です。1737年、イタリアのボローニャに、医師の子として生まれたルイージ・ガルバーニは、1959年、ボローニャ大学で哲学と医学の学位をえて医者になると、1762年にボローニャ大学医学教授に就任……。

2014年 「ショウジョウバエ研究」 のモーガン
メンデルの「遺伝子染色体説」を実証し、遺伝の基本的現象を解明したアメリカの遺伝学者モーガンが、1945年に亡くなった日です。1866年、ケンタッキー州レキシントンに生まれたトーマス・ハント・モーガンは、1886年にケンタッキー州立大学を卒業後、ジョン・ホプキンス大学で動物学・生理学を学び、1890年にクモヒトデの研究により学位を取得し……。

2013年 『青少年のための管弦楽入門』 のブリテン
オペラ『ピーター・グライムズ』や『青少年のための管弦楽入門』『戦争レクイエム』などを作曲したイギリスのブリテンが、1976年に亡くなった日です。1913年、イングランド・サフォーク地方のローストフトに生まれたベンジャミン・ブリテンは、幼少のころから音楽の才能を発揮して、7歳からピアノやビオラを学び、9歳のときに弦楽四重奏曲を作曲するほど……。

2012年  古代神話を批判した津田左右吉
大正・昭和期に活躍した日本史学者の津田左右吉(つだ そうきち)が、1961年に亡くなった日です。1873年、岐阜県美濃加茂市に生れた津田左右吉は、1891年に東京専門学校(のちの早稲田大)を卒業後、中学教師をつとめるかたわら、東洋史学者白鳥庫吉(しらとり くらきち)の指導を受け、満州(中国東北部)や朝鮮の歴史や地理の研究をし、1901年には『新撰東洋史』を……。

2009年 栄華をきわめた藤原道長
平安時代中期の貴族で、天皇にかわって摂政や関白が政治をおこなう「摂関政治」を独占してきた藤原氏の全盛期を生きた藤原道長が、1027年に亡くなった日です。藤原氏は、中臣鎌足が、大化の改新の功によって天智天皇から藤原朝臣の姓をさずけられたのが始まりです。藤原道長は、4人のむすめを天皇(長女彰子=一条天皇、次女妍子=三条天皇、3女威子=後一条天皇……。

2008年  [おもしろ民話集 53] ころげた芋
おろか村という小さな村の、おろか話です。あるとき、お寺の和尚さんが、村じゅうの者に、ごちそうをするから、みんなで食べにくるようにいいました。ところが、みんなは、ごちそうは食べたいけれど、困ったことがありました。行儀のよい食べかたを、誰も知らなかったのです。そこでみんなは、庄屋さんのところへ、相談にいきました。すると庄屋さんは……。

2007年  [おもしろ民話集 24] 男と女の数はどちらが多い ?
むかし、まだ鳥たちが話をすることができたころのお話です。あるところに、大変美しいお妃をもった、ひとりの王様がいました。王様は、かわいいお妃のいうことは、何でも聞いてやりました。ある日、お妃が 「すてきなおふとんを持ってきてちょうだい」 というので、王様は絹のふとんをもっていきました。ところが、「こんなのじゃだめ、羽のふとんよ」 と……。

2006年 「斉藤茂吉」 のこども時代
山形県の蔵王山のふもとに、農民の子として生まれ育った茂吉は、子どものころ、仲間のあいだでもとびぬけたガキ大将でした。みんなからはヤセモッキーというあだ名で呼ばれていましたが、とにかく負けずぎらいで、いつも、仲間の総大将でした。遊び場は、村を流れる須川の河原と、宝泉寺という寺の境内でした。河原ではよく、よその村の子どもたちと石合戦を……。

2005年 「レディバード図書館」の特色
いずみ書房が1985年に刊行した、6番目のシリーズ「レディバード図書館」の特色を掲げてみよう。英国レディバード社は当時、首都ロンドンの北西150kmにあるラフボロウという小都市にあった。出版社でありながら、6000坪ほどの敷地内に印刷工場、製本工場を持ち、すべて自社で一貫生産する体制を敷いていた。1日の生産可能冊数は10万冊以上……。
投稿日:2017年12月04日(月) 05:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)