児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  2017年版 こんな日 >  2017年版 12月5日はこんな日

2017年版 12月5日はこんな日


● 今日(12月5日)の主なできごと

1904年 日本軍が旅順203高地占領……日露戦争で日本軍は、ロシア軍の要塞があった旅順の203高地を3度目の総攻撃で占領に成功。戦局はいっきに日本軍が有利なものになっていった。


● 今日の主な記念日・恒例日

国際ボランティア・デー……世界の経済と社会開発の推進のため、ボランティア活動の貢献に対する認識を高める日として制定された国際デー。

バミューダトライアングルの日……1945年のこの日、大西洋上で米軍機が突然消息を絶ち、その救援機も行方不明になった。それ以前にも多くの船や飛行機が行方不明になっているといわれ、フロリダ・バミューダ・プエルトリコの3点を結ぶ三角形の海域を魔の三角海域「バミューダトライアングル」と呼ばれるようになった。


● 今日生まれた人

1842年 デ・レーケ……オランダの土木技術者。お雇い外国人として来日。「日本の砂防の父」

1891年 広津和郎……大正・昭和期の小説家・社会評論家。代表作『風雨強かるべし』『松川事件と裁判』など。

1901年 ディズニー……アメリカの漫画家・実業家。「ミッキー・マウス」を生みだし、「ウォルト・ディズニー・カンパニー」創業。

1907年 林彪……中国の軍人・政治家。毛沢東暗殺・クーデターなどを企てた(林彪事件)が、ソ連へ逃亡中に墜落死。

1912年 木下恵介……昭和・平成期の映画監督。代表作『カルメン故郷に帰る』『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾歳月』『楢山節考』など。


● 今日亡くなった人

1791年 モーツァルト……オーストリアの作曲家。ハイドンやベートーべンと並ぶウィーン古典派三大巨匠の一人。

1870年 デュマ(大デュマ)……フランスの小説家。代表作『三銃士』『モンテ・クリスト伯』など。

1893年 松平容保……江戸時代後期〜明治初期の会津藩主。

1926年 モネ……フランスの画家。代表作『印象・日の出』『日傘を差す女』『草上の昼食』『睡蓮』の連作など。

2013年 マンデラ……南アフリカ黒人解放運動指導者。黒人初の大統領。


● 過去のマイブログ「12月5日」のテーマ

2014年 「不屈の闘士」 マンデラ
アパルトヘイト(有色人種差別政策)への反対運動に身を投じ、27年間投獄されながらもその撤廃に成功、南アフリカ共和国の大統領となったマンデラが、2013年に亡くなった日です。1918年、東ケープ州に生まれたネルソン・マンデラは、フォート・ヘア大学に在学中の1944年、黒人の権利拡大をめざすアフリカ民族会議(ANC)に入党しました。その青年同盟を創設し執行委員に就任して反アパルトヘイト運動に……。

2013年  [おもしろ民話集 106] ジャックと3人の巨人
ある村に、ジャックという名の貧しい農夫の息子がいました。とても元気でかしこいので、「知恵ものジャック」といわれていました。ある日、村の人たちがジャックのところにやってきて、こういいました。「むこうにみえる山の穴ぐらの住みかに、コーモランという背の高さが5メートルもある巨人がすんでいるのを知っているね。このごろ、あいつが、きゅうにあばれだして、村人や、牛やブタやヒツジを……。

2012年 「悲劇の大名」 松平容保
会津藩第9代藩主で、京都守護職として幕末の激動の6年間を京都の守護にあたるものの、王政復古後の「戊辰戦争」に敗れた松平容保(まつだいら かたもり)が、1893年に亡くなった日です。1836年、美濃国高須藩主の6男として江戸藩邸に生まれた容保は、1846年に叔父の会津藩8代藩主の養子となり、1852年に23万石の家督を継ぎました。ペリーが再度来航した年のことで、容保は開国やむなしときっぱり明言するほど……。

2011年 「松川事件」 と広津和郎
大正・昭和期の小説家、文芸評論家の広津和郎(ひろつ かずお)が、1891年に生まれた日です。作家の広津柳浪(りゅうろう)の次男として東京に生まれた和郎は、早稲田大学英文科に在学中から短編小説や翻訳を同人誌などに投稿したりしていましたが、卒業後に文芸評論家として活躍するようになります。1917年、雑誌『中央公論』に『神経病時代』を発表して文壇デビューをはたすと、芥川龍之介、菊池寛、佐藤春夫、久米正雄らと交わりながら……。

2008年 「足をあらう」 「水いらず」 「さばをよむ」
「足をあらう」 悪事から抜けだすこと、心機一転出なおすときに使いますが、インドの僧の行いから出た言葉のようです。一日中はだしで托鉢をしてまわった僧が、寺へ帰って、よごれた足を洗い清めるのがその日の日課の終わりでした。そんな、宗教上の行為が、汚れを落として出直すという意味に変わっていったと……。

2007年 自分が認められることの喜び
これは、ボランティアで子どもたちに「作文」を教えている先生から聞いた話です。ある日、陽子ちゃんという1年生の女の子が、新しく作文教室に入ってきました。20人ほどの集団にぽつんとひとり加わったのですから、少し不安な様子でした。「今までに作文を書いたことある?」 「書き方わかる?」 などと聞いても、返事をしません。そこで、作文教室に入ってすでに4か月になる五美ちゃんという2年生の女の子の横に座らせて、「五美ちゃん、陽子ちゃんに教えてあげてね。五美ちゃんなら、教えてあげられるでしょう」 と……。

2006年 「ゲーテ」 のこども時代
裕福な法律家の家に生れ、自分も法律家として進む道をさだめられていたゲーテは、小さいときから、おどろくほどよく勉強しました。先生は、厳格な父と家庭教師でした。このころにも、もちろん学校はありました。しかし、貴族や金持の家では子どもを学校には入れず、家庭教師などをやとって自宅で学ばせたのです。法律をはじめ文学、歴史、神学、語学、詩、乗馬、剣術──このなかで、いちばんとくいだったのは語学でした。自分の国のドイツ語のほか、イタリア語、ラテン語、ギリシア語……。
投稿日:2017年12月05日(火) 05:44

 <  前の記事 2017年版 12月4日はこんな日  |  トップページ  |  次の記事 2017年版 12月6日はこんな日  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/4336

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2017年12月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)