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2017年版 11月25日はこんな日


● 今日(11月25日)の主なできごと

1890年 第一回帝国議会……明治憲法発布翌年のこの日、帝国議会が開かれた。議会は、貴族院と衆議院の2院からなり、貴族院議員は皇族・華族、多額納税者などから選ばれ、衆議院議員は、25歳以上の男子で国税15円以上を納める人に限定されていた。
 
1892年 オリンピック復活の提唱……フランスのクーベルタン男爵は、アテネで古代競技場が発掘されたことに刺激され、スポーツによる世界平和を築こうとオリンピック復活の提言を発表、オリンピック委員会が作られ、4年後に実現した。

1970年 三島由紀夫が割腹自殺……この日、三島由紀夫が、自ら主催する「楯の会」の仲間たち4人と共に東京・市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地に乱入。東部方面総監部で総監を人質にとって本館前に自衛官1000人を集合させ、自衛隊の決起を訴える演説を10分間行った。しかし、自衛隊員が応じなかったため、総監室で楯の会会員の森田必勝とともに割腹自殺した。


● 今日の主な記念日・恒例日

ハイビジョンの日……ハイビジョンの走査線の数が1125本であることから、郵政省(今の総務省)とNHKが1987年に制定。

女性に対する暴力廃絶のための国際デー……1961年のこの日、ドミニカ共和国の政治活動家であったミラバル3姉妹が、ドミニカの支配者ルヒジョの命令により惨殺されたことから、1999年12月の国連総会で制定。

その他の記念日……OLの日・金型の日など。


● 今日生まれた人

1814年 マイヤー……ドイツの医師・物理学者。「エネルギー保存の法則」発見。

1835年 カーネギー……アメリカの実業家・篤志家。「カーネギー鉄鋼会社」(今のUSスチール)創業。世界平和・教育・科学研究などに多額の寄付。

1844年 ベンツ……ドイツの機械技術者・自動車の創始者。

1870年 堺利彦……明治・大正・昭和期の社会主義運動家・評論家。

1872年 添田唖蝉坊……明治・大正・昭和期の演歌師。代表作『ノンキ節』『ラッパ節』など。「流行歌の祖」

1924年 吉本隆明……昭和・平成期の評論家・詩人。代表作『転位のための十篇』『共同幻想論』など。


● 今日亡くなった人

1970年 三島由紀夫……昭和期の小説家。代表作『仮面の告白』『金閣寺』『潮騒』など。

1974年 ウ・タント……ミャンマーの教育者・政治家。第3代国際連合事務総長。

2013年 堤清二(辻井喬)……昭和・平成期の実業家・小説家・詩人。「セゾングループ」代表歴任。


● 過去のマイブログ「11月25日」のテーマ

2015年 「冷戦危機」 を救ったウ・タント
第3代国際連合事務総長として、キューバ危機、コンゴやキプロス紛争、ベトナム停戦などの解決に取り組み、以後の国連の役割・あり方・運営に大きな道筋をつくりあげたビルマのウ・タントが、1974年に亡くなった日です。1909年、イギリス領ビルマ(現ミャンマー)のパンタナウに熱心な仏教徒の子として生まれたウ・タントは、地元の高校を経てラングーン大学(現ヤンゴン大学)で歴史学を専攻し、卒業後、パンタナウの高校で教鞭をとり、25歳の若さで校長に就任しています……。

2014年 「感性経営」 の堤清二
西武流通グループ・セゾングループ代表などを歴任した実業家の堤清二(つつみ せいじ)が、2013年に亡くなった日です。堤は、辻井喬(つじい たかし)のペンネームで、作家・詩人としても活躍しました。1927年、西武グループの創業者堤康次郎の子として生まれた堤清二は、東京府立十中、成城高校を経て、1951年に東京大学経済学部を卒業すると、衆議院議長だった父康次郎の秘書を務め、1954年に西武百貨店に入社、翌年から取締役店長として百貨店経営にたずさわりました……。

2013年  [おもしろ民話集 105] 手なし娘
昔、あるところに、夫婦とかわいいひとり娘がくらしていました。ところがあるとき、母が病気で死んでしまい、父親は新しい母親(まま母)をもらいました。けれど、まま母は、かしこく美しい娘がにくらしくてなりません。なんとかして追い出そうと考えていました。そこで、父親に「あの子は、わたしと暮らすのがいやなので、神さまに祈って、わたしをのろい殺そうとしています」と、つげ口をしたのです。つげ口を信じた父親はひどくおこりました……。
 
2011年 「おもしろ古典落語」50回目 『火事息子(かじむすこ)』
江戸・神田三河町に、伊勢屋という大きな質屋がありました。ある夜、ジャンジャンジャンジャン…。火の見やぐらで、けたたましい半鐘の音がします。近所で出火したようで、火の粉が降りだしました。「番頭さん、かたづけものなんて小僧にでもまかせておきなさい、それより蔵の目ぬりはどうしたね? うちは風上だからって、左官が来てくれないそうじゃないか」「へぇ、旦那」「へぇじゃありませんよ。いいかい、うちは他人さまの大切な品物をおあずかりするのが商売だよ……。

2010年 「戦争反対」を叫び続けた堺利彦
「日露戦争」や「満州事変」など、戦争に強く反対した社会主義者の堺(さかい)利彦が、1871年に生まれた日です。福岡県の士族の家に生まれた堺は、「自由民権運動」(国会開設を求め、民主主義をめざした運動) の感化を受けながら育ちました。地元の中学を首席で卒業して第一高等中学校に入学しますが、飲酒や遊びにふけって中退。その後は、一家の柱となって、大阪で小学校教師や新聞記者を勤めました。1899年から東京の新聞社「萬朝報(よろずちょうほう)」に入社し……。

2009年  明治の先覚者・福沢諭吉
慶応義塾を設立するなど、明治期の民間教育を広めることに力をそそぎ、啓蒙思想家の第一人者と評される福沢諭吉が、1876年のこの日に代表的な著書『学問のすすめ』最終巻を刊行した日です。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず…」という有名な言葉などで、人間の独立と平等の精神を説いたのが『学問のすすめ』で、当時のベストセラーになり……。

2008年  衝撃の作家・三島由紀夫
ちみつな構成と華麗な文体で人気のあった作家でありながら、アメリカに従属する日本を憂えて自衛隊の決起をうながすも受け入れられず、三島由紀夫が、1970年に割腹自殺をとげた日です。1970年(昭和45年)11月25日、東京市ヶ谷にある陸上自衛隊ではたいへんな騒ぎが起こりました。三島由紀夫が、自分のひきいる「楯の会」の4人の会員とともに、総監室になだれこみ、バルコニーから、ビラをまき、演説をはじめたのです。「今の憲法は、自衛隊をはっきり認めていない……。
 
2005年 「証誠寺のたぬきばやし」伝説
拠点長会の席上で語った内容の第5回目。音楽の先生はそのあと「しょうじょうじのたぬきばやし」 の話をしてくれました。雨情は歌の取材のために、千葉県木更津市の郊外にある証誠寺をおとずれたとき、住職から寺につたわる伝説を聞いたそうです。むかし、三味線の大変じょうずなおしょうさんがいて、ある秋の夜、おしょうさんがいつものように三味線をひいていると、お寺の庭になんびきものたぬきが集まってきた。やがて、三味線に合わせながら、たぬきたちは力いっぱいお腹をたたいて……。
投稿日:2017年11月25日(土) 05:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)