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2017年版 12月19日はこんな日


● 今日(12月19日)の主なできごと

1586年 秀吉が太政大臣……この日、関白秀吉が太政大臣に任ぜられ、朝廷から豊臣姓を賜った。先に関白となったとき、由緒ある近衛家の養子となって藤原姓に変えていた。これで幼名日吉丸から、木下藤吉郎、羽柴秀吉、藤原秀吉、豊臣秀吉と4回も名を変えたことになる。

1614年 大坂冬の陣の和約……徳川家康は豊臣家を滅ぼそうと20万もの大兵で大坂城を取り囲んだが、短期間で滅ぼすことはできないと和平を持ちかけた。その後、約束の外堀ばかりか内堀までうずめて本丸だけにし、半年後の「大坂夏の陣」で滅ぼした。

1889年 明治天皇の御真影を小学校に……この日、小学校に明治天皇の御真影(肖像写真)が下賜されることになった。ご真影は天皇と同じように扱われ、その前では最敬礼するように定められ、教育勅語とともに、天皇の権威を高める役割をはたした。


● 今日の主な記念日・恒例日

日本人初飛行の日……1910年のこの日、東京・代々木錬兵場(今の代々木公園)で徳川好敏工兵大尉が日本初飛行に成功したことにちなむ記念日。飛行時間は4分、最高高度は70m、飛行距離は3000mで、ライト兄弟の世界初飛行から7年後のことだった。


● 今日生まれた人

1836年 富岡鉄斎……幕末から大正期の日本画家・儒学者。代表作『仙縁奇遇図』『蓬莱仙境図』『富士山図屏風』など。「日本画壇の巨人・最後の文人画家」

1906年 ブレジネフ……ソ連の政治家。フルシチョフの失脚後の共産党書記長。冷戦時代の最高指導者。


● 今日亡くなった人

1741年 ベーリング……デンマーク出身ロシアの探検家。

1751年 大岡忠相(大岡越前)……江戸時代中期の江戸町奉行・寺社奉行。

1848年 エミリー・ブロンテ……イギリスの小説家。代表作『嵐が丘』。ブロンテ三姉妹の次女。

1851年 ターナー……イギリスの画家。代表作『国会議事堂の火災』『トラファルガーの戦い』『雨、蒸気、スピード−グレート・ウェスタン鉄道』など。

1997年 井深大……昭和・平成期の実業家・幼児教育家。東京通信工業(今のソニー)設立。

2012年 中沢啓二……昭和・平成期の漫画家。代表作『はだしのゲン』。


● 過去のマイブログ「12月19日」のテーマ

2014年 「乳幼児教育」 と井深大
「世界のソニー」を盛田昭夫とともに創りあげ、そのかたわら「幼児開発協会」を設立して幼児教育の大切さを普及させた井深大(いぶか まさる)が、1997年に亡くなった日です。1908年、今の栃木県日光市に科学技師者の子として生まれた井深大でしたが、2歳の時に父が亡くなったため、両親の実家のある愛知県安城市や東京に移り住みました。幼いころから、祖父や母から父親がいかに優れた科学者だったかを聞かされ、小学時代から自転車を分解したり電信機をこしらえたりするなど……。

2013年 「ベーリング海峡」 とベーリング
デンマーク出身でロシアの航海士として2回カムチャツカ探検をし、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きではないことを確認したベーリングが、 1741年に亡くなった日です。1681年、デンマークのホーヘンスに生まれたビトゥス・ヨナセン・ベーリングは、1703年にアムステルダムの学校を卒業し、東インドへの旅の後、1704年にピョートル大帝率いるロシア海軍の将校となりました……。

2012年 印象派の先駆者ターナー
『国会議事堂の火災』『吹雪-港の沖合の蒸気船エアリエル号』など、イギリスを代表する国民的画家のターナーが、1851年に亡くなった日です。1775年、ロンドンの理髪師の子として生まれたジョセフ・マロード・ターナーは、幼いころから母親が精神の異常をきたしたため、学校教育はほとんど受けず、特異な環境で少年時代を過ごしました。1789年、ロイヤル・アカデミー(王立美術院)付属の美術学校に入学し、水彩で名所などを忠実に描く技術をみがきました。当時この分野は需要が高く……。

2011年 日本画壇の巨人・富岡鉄斎
幕末・明治・大正期に活躍した「最後の文人画家」といわれる富岡鉄斎(とみおか てっさい)が、1837年に生まれた日です。京都に生まれた鉄斎は、幼少のころから富岡家の家学である心学を学び、15歳ころから平田派の国学を修め、儒学、漢学詩文などを究めました。18歳ころには女流歌人にあずけられてその教えを受けたのをはじめ、当時の文人のたしなみとして絵を描いたりしました。20歳前後になって、窪田雪鷹から本格的な絵の手ほどきを受けると……。

2008年 名裁判官? 大岡忠相
江戸時代中期に活躍し、「大岡政談」の越前守として有名な大岡忠相(おおおか ただすけ)が、1751年に亡くなった日です。ただし、名裁判官ぶりはほとんど作り話で、江戸市民に愛され尊敬されていた忠相の人柄が、人情味あふれる庶民の味方として認識され、講談などで広く知られるようになりました。大岡越前守という奉行が、胸のすくような裁判をして、弱い者をたすける「大岡裁き」の話は、いまでもテレビドラマをはじめ講談、落語、演劇などでしたしまれています……。

2007年  [おもしろ民話集 26] ライオンを退治した子ぎつね
ある森に、たくさんの動物がすんでいました。大きいのも、小さいのも、強いのも、弱いのもいましたが、仲よく平和に暮らしていました。あるとき、その森に一頭のライオンがやってきました。ライオンは、手あたりしだい動物をつかまえて、食べてしまうのです。動物たちはこまってしまって、いろいろ相談した上で、ライオンのところへ行ってこういいました。「ライオンさま、いかがでしょう。私どもは、毎日クジを引いて、クジに当たった者が、あなたさまのお食事になるということにしてもらえませんでしょうか……。

2006年 不満ばかりいう子、失敗ばかりする子
「不満ばかりいう子にしたいなら」━━ ファミリーレストランなどに家族みんなで行って「これはまずいわね、これならインスタントのほうがまだましだわ」と愚痴をこぼしましょう。服を着るたびに「この服、もうおかしいわ」「あああ、新しい服がほしいわね」と、こぼしてみせなさい。雨降りが続いたら、「もう、いやだわ」「ほんとに、もうくさくさする」と、イライラしましょう。「こんな家に住みたいわね。アパートぐらしなんてつまらないわ」「あんな車がほしいわ、この車ガタガタで、みっともない」なんて、いつもブツブツいうことです……。
投稿日:2017年12月19日(火) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)