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2017年版 12月16日はこんな日


● 今日(12月16日)の主なできごと

1773年 ボストン茶会事件……この日の夜、高い関税に苦しむインディアンに変装したボストン市民が、港内に停泊中のイギリス東インド会社の船に侵入。342箱の茶を海に投げ捨てた。この事件がキッカケとなって、イギリス本国と植民地の関係が急速に悪化、1年4か月後にアメリカ独立戦争が勃発する遠因となった。
 
1864年 奇兵隊の挙兵……11月の第1回長州征伐に敗れた長州藩だったが、高杉晋作の率いる足軽・百姓・町人の有志で組織された「奇兵隊」がこの日下関で挙兵し、藩の主導権を握った。

1932年 白木屋デパートで火災……この日、東京日本橋の白木屋百貨店の4階玩具売場で火災が発生し、地上8階の建物の4階から8階までを全焼した。火災による死者は1人だったのに対し、墜落死が13人、負傷者が67人という、日本初の高層建築物火災となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

紙の記念日……1875年のこの日、東京王子の抄紙会社の工場で営業運転を開始したことにちなんだ記念日。抄紙会社は実業家の渋沢栄一が大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させたもので、王子製紙の前身となった。

電話創業の日……1890年のこの日、東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始した。当時の加入電話は東京155台・横浜44台で、女子7人と夜間専門の男子2人の交換手が対応。


● 今日生まれた人

1770年 ベートーベン……ドイツの作曲家。古典派音楽を集大成。代表作『交響曲第3番(英雄)・第5番(運命)・第6番(田園)・第9番(合唱付)』ピアノソナタ『月光』など。「楽聖」

1867年 尾崎紅葉……明治期の小説家。代表作『多情多恨』『金色夜叉』など。

1880年 今村紫紅……明治・大正期の日本画家。代表作『近江八景』『熱国之巻』『細雨』など。

1884年 北村西望……明治・大正・昭和期の彫刻家。代表作『長崎平和祈念像』『笑う少女』など。


● 今日亡くなった人

1774年 ケネー……フランスの重農主義経済学者。「経済学」創設者の一人。代表作『経済表』。

1859年 ウィルヘルム・グリム……ドイツの文献学者。『グリム童話』収集。「グリム兄弟」弟。

1861年 大蔵永常……江戸時代後期の農学者。代表作『広益国産考』など。

1903年 落合直文……明治期の歌人・国文学者。

1907年 浅井忠……明治期の洋画家。代表作『春畝』『収穫』『グレーの秋』など。

1921年 サン=サーンス……フランスの作曲家。代表作『動物の謝肉祭』(14曲のうち13曲目が「白鳥」)など。

1945年 近衛文麿……昭和期の貴族政治家。 第34・38・39代首相。戦犯容疑者として出頭命令を受け服毒自殺。

1965年 モーム……イギリスの小説家・劇作家。代表作『月と六ペンス』『人間の絆』『お菓子とビール』など。

1968年 市村清……昭和期の実業家。「リコー三愛グループ」創始。

1968年 双葉山(時津風親方)……昭和期の力士。第35代横綱。「69連勝」記録保持者。

1980年 カーネル・サンダース……アメリカの実業家。「ケンタッキー・フライドチキン」創業。

1988年 小磯良平……昭和期の洋画家。代表作『T嬢の像』『婦人像』など。

1993年 田中角栄……昭和期の政治家。第64・65代首相。


● 過去のマイブログ「12月16日」のテーマ

2015年 「国民を戦争に駆り立てた」 近衞文麿
軍部を中心とする勢力にかつがれ、3度にわたり首相を務めた貴族政治家の近衞文麿(このえ ふみまろ)が、1945年に亡くなった日です。1891年、貴族院議長で公爵の近衛篤麿の長男として、東京・麹町に生まれた近衛文麿は、幼い時に両親を亡くし、13歳で家をつぎました。一高を経て、東京帝国大学哲学科に入るものの、京都帝国大法科に転学し、河上肇らの指導を受けました。大学卒業後に内務省入りした近衛は、1916年には公爵の特権で貴族院議員となり……。

2014年 「闇将軍」 田中角栄
豪雪地帯の貧困から志をたてて内閣総理大臣となり、『日本列島改造論』を発表して経済発展に取り組み、日中国交回復をはたすものの、その金権政治が批判された政治家の田中角栄(たなか かくえい)が、1993年に亡くなった日です。1918年、今の新潟県柏崎市に隣接する西山町に貧しい農家の子として生まれた田中角栄は、1933年地元の高等小学校を卒業しました。その後柏崎の県土木派遣所に勤め、1934年に上京して住みこみで働きながら、夜間の専門学校中央工学校土木科に通い……。

2013年 『広益国産考』 の大蔵永常
江戸時代後期の農学者で、農業に役立つたくさんの著書を残した大蔵永常(おおくら ながつね)が、1861年に亡くなった日です。宮崎安貞・佐藤信淵とともに江戸時代の3大農学者の一人とされています。1768年、豊後国日田(現・大分県日田市)の農家の子に生まれた大蔵永常 (通称・亀太夫)は、祖父や父から綿の栽培、蝋(ろう)の原料となるハゼ栽培・加工の技術を学びました。少年時代から好奇心が強く、地元の寺子屋に通って学問を志すものの、実践のともなわない儒学にあきたらず……。

2011年 「おもしろ古典落語」53回目 『桃太郎(ももたろう)』
昔話を親が語ってやるかたわらで、子どもが寝入って「子どもなんてものは、罪のねぇもんだ…」なんていう風景はよくみられましたが、ただいまの子どもは、なかなか寝つかなくなりました。「さぁ金坊、まだ寝てないな。よし、おとっつぁんが、おもしろい話をしてやろう。昔むかしあるところに、おじいさんとおばあさんがおりました…」「ちょっと伺いますが、昔って何年くらい前のことですか? まぁこれは枕ことばだからいいとして、『あるところ』なんて、そんなとこありませんよ……。

2010年 近代洋画の先覚者・浅井忠
明治期の洋画家で、黒田清輝と共に、日本の近代洋画の先覚者といわれる浅井忠(あさい ちゅう)が、1907年に亡くなった日です。1856年、江戸の佐倉藩中屋敷に藩士の長男として生まれた浅井は、7歳のときに父を失い、家督を継いで佐倉に帰りました。8歳のころから儒教や武芸を学ぶかたわら花鳥画を習いはじめましたが、のちに上京して、ヨーロッパで絵の修業をしたことのある国沢新九郎の指導のもとに油絵の初歩を学びました……。

2009年 護国卿のクロンウェル
イングランドの政治家クロンウェルが、1653年イングランド共和国の初代護国卿になった日です。護国卿とは、王権に匹敵する最高統治権を与えられた職名です。ルターやカルバンの宗教改革以後、ローマ教皇の支配をうけない新しいキリスト教を新教(プロテスタント)といい、これまでの教会を中心とする教えを旧教(カトリック)といいます。そしてイギリスでは、新教の信者を清教徒(ピュリタン)とよびました。クロンウェルは、1599年イングランド東部の小さな村に生まれ、清教徒である母親の影響をうけながら育ちました……。

2008年 グリム童話集
兄弟で力をあわせて、ドイツに伝わる民話を集大成したグリム兄弟の弟ウィルヘルムが、1859年に亡くなった日です。グリム兄弟ほど仲のよい兄弟は、めったにいません。二人は、どんな時でもいっしょでした。なかよく同じ学校へ進み、仕事や研究ばかりでなく日常の生活でも、はなれずに、心の通いあった人生をおくりました。グリム兄弟は、おたがいに助けあい、共同で『グリム童話集』を発表するなど、おおくの業績でしられています。グリム兄弟は、ドイツのフランクフルトに近い、ハーナウに生まれ……。
投稿日:2017年12月16日(土) 05:41

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)